「親のスネ、どんどんかじれ」
そんな自分に今日も情けなさを感じていたところ、ふと、昔、ある親戚(社会人)の方が、私に
「もしかじることのできる親のスネがあれば、どんどんかじれ」
とおっしゃったことを思い出しました。
ただし、これは、自分の実現したい夢なり目標なりがあるのであれば、それを実現するためなら親のスネでもどんどんかじっても構わないという、そうした意味合いでした。夢や目標を実現するには、手段など選んでいてはいけないというのです。その親戚の人は、一例として、公認会計士試験に合格するために8年間浪人している知人のことを引き合いに出していました。
この意見に対して、その場にいた、その親戚の親御さんが反発していました。親御さんがおっしゃるには、親は苦労して子供を育てたのであり、子供は親のために恩返しをするべきである、親のスネを利用し続けるなどとんでもないというご意見でした。
客人である私の前で、親子間の意見対立が表面化したので戸惑ったのですが、いずれにせよ、私は親戚の方には申し訳ないのですが、親のスネはどんどんかじっても構わないというご意見には違和感を感じました。ニートひきこもりの私がこんなこと言っても滑稽なだけかもしれませんが。
なお、「親のスネをかじる」という表現は、言うまでもなく価値中立的な表現ではなく、親に経済的に依存している様を侮蔑的に表現したものです。自分で自分にこのような表現を使うのは一見変なようにも思えるのですが、この表現でいいです。
続・ひきこもりとインターネット
というのも、以前にも少し書いたことがありますが、私がこれまで接してきたひきこもりの人に、そうした人をあまり見たことがないからです。もちろん、長時間ネット漬けの人も、全くいないことはありません(私がそうです)。しかし、少なくとも私の知る限りでは、ネットをあまり、ないし全くしていない人が多いです。ひきこもり等支援機関の活動の中でも、どちらかと言えば社交的な人ほど、ネットを積極的に活用しているのかな、と感じています。
最近の斉藤環氏による調査結果は、私の実感に近いものでした。2001年1月から2007年11月までの間に、爽風会佐々木病院の外来を受診した患者のうち、統合失調症やうつ病などの基礎疾患を持たず、一年間以上のひきこもり状態にある事例67例について様々な調査を行ったところ、「インターネットの利用」については、「過度な没頭がみられる」は4.1%、「ひんぱんに利用する」が18.4%であったのに対し、「ときおり利用する」が51.0%、「利用しない」が26.5%という割合でした(斉藤ら, 2009)。
ただ、詳細は知らないのですが、ひきこもり中高校生の半数以上がネットゲームに依存しているという調査結果が2003年頃「教育研究所」から出たそうで(和田, 2003)、こちらも気になります。
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息子・娘がひきこもったら、パソコンを破壊せよという声をときどき耳にすることがあります。ひきこもり者の多くはネット漬けだし、ネットができなくなったら嫌でも外に出なくてはならなくなるから、とのことだそうです。しかし、斉藤氏の調査結果から考えると、どこまで有効だろうかと考えてしまいます。また、ひきこもりと言っても、あまり対人交流を必要としない場所であれば外出する者も多いという調査結果もあります(境ら, 2007)。ただ、ネットゲームに依存しているとか、そうした人が本当に多ければ、問題解決の方法の一つとして考えられるかもしれません。
一方で、未就学児ですらネットをする子が少なくないこの時代に(「小学生のインターネット利用に関する調査」, 2006)、本当にパソコンが破壊されネットができなくなると大丈夫だろうか、格差が広がってしまうのではないか(昔で言うデジタルデバイド)などという心配も私は感じます。ひきこもり支援に関する情報も、ネットが利用できるのとできないのとでは、得られる情報量は大きく違ってきます。このため、ネットができる環境にありながらネットをしていないというひきこもりの人と話していると、もったいないと感じます。
[関連サイト(外部サイト)]
「インターネットは引きこもりなど精神的に悪影響……」との調査に逆説(マイコミジャーナル)
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↑ 5年前の記事ですが、最近の研究動向はどうなのでしょうか?
[文献]
もっとひどい人生になると思ってた
他の理由として考えたのは、「自分の人生、思ったほど悪くなっていない」という、おそらくひきこもり者にしては変わった感覚を持っているからではないかとも思います。
現在ニート、ひきこもりである私の人生は、同年代の若者に比べれば非常によくない人生で、私の現状を「社会の底辺」などと考える人も少なくないだろうと思います。「かわいそう」という言い方をする人もいます。それが、「自分の人生、思ったほど悪くなっていない」と感じているのはどうしてなのでしょうか。それは、昔は自分の将来は、これ以上に悲惨なものになるだろうと予想していたからです。
私は幼少期より他の子が当たり前にできることができない、他の子がまず犯さないような失敗を繰り返す、他の子が自分より大人びて見える、ほか、知能面、情緒面等で問題の多い子でした。小学校中学年になると、今度は場面緘黙症という情緒障害(不安障害?)にかかり、家庭以外では極度の緊張のあまり口をきけなくなってしまいました。
こんな私が、将来まともに職に就けるとは到底思えず、一生まともに口もきけず、人との交流もできないまま一生を終えるのではないかと子供の頃から思っていたのでした。相当悲観的な子供でしたが、悲観的にならざるを得ない状況だったのかもしれません。自分の人生に対する期待が、ほとんどない子供でした。
ところが実際は、確かに職には就けていませんが、あとの二つの問題については克服できています。特に口がきけないという問題については、子供の頃から深刻に悩んでいて、「贅沢は言わない、せめて死ぬまでに人と会話ができたら、もうどうなってもいい」とさえ思っていたほどですから、この問題を克服できたのは、私にとって大変大きなことでした。そういうわけで、「自分の人生、思ったほど悪くなっていない」という、おそらくひきこもり者にしては変わった感覚を持つにいたったわけです。
五木寛之氏は、『他力』という本の中で「本物のプラス思考は、究極のマイナス思考から」と書いていますが、もしかしたらこういうことかな、とも思います。もっとも、私の人生が肯定するに足るものかどうか、それは自分でもよく分かりません。





