「積極的にいっての失敗なら、多少は仕方ない」

「積極的にいっての失敗なら、多少は仕方ない」

何年か前、母校の高校野球の試合をテレビ観戦していたところ、監督のこのようなコメントが実況者から紹介されていました。失敗したらしたで、そこから何かを学ぶことができるし、とにかく積極性を持てというのが、監督の指導方針だそうでした。

「失敗を恐れず積極的に」とはよく言われますが、これをあのように言い換えられると、少し考えさせられました。積極的に動いての失敗は「多少は仕方ない」というのです。と言っても私は野球をすることはないのですが、野球以外の自分自身のことについて考えさせられました。

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私の性格は慎重で、しかも有能感が乏しいです。このため、失敗を避けようという意識が人並み以上に強いという自覚があります。

失敗を避けようとすること自体は、悪いことではないでしょう。ですが、そうした意識が強すぎるあまり、私は身動きがとれなくなってしまうことも多いです。これは、私の引きこもり長期化とある程度関係があるような気もします。

「仕事上の失敗には、許される失敗と許されない失敗がある」以前引きこもり等の人を支援する施設に通っていたところ、施設職員がこんなことをおっしゃっていたことを思い起こします。もっとも、こういう考え一つで引きこもりが克服できるものでもないでしょうが、もう少し積極的に動いてみてもよいのかもしれません。

ただ、私も齢を重ねてきています。もう少し若ければ失敗をしてもなんとかなる余地が多少あったかもしれませんが、この年齢になると及び腰になってしまいます。若い方は、私のようにならないように。

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親の老いにより、親に依存する生活に変化が?

衰える親の体力


最近、我が家の親子関係に微妙な変化が出てきています。

以前からお話している通り、私の親は老い始めています。体力面や認知面などで衰えが出始め、家事をこなせない場面が少しずつ増えています。

このため、これまで信頼されていなかった引きこもりがちの私が、家事の一部代行を任される場面が増えています。特に我が家は母子家庭なので、親が家事ができなければ、子どもである私が代わりにするほかないのです。

ここで、もし私が何らかの事情でこの家からいなくなれば、どうなるだろうと考えることがあります。親は一人で家事をこなさなくてはならなくなります。年老いつつある親には、これは少し厳しいところがあるのではないかと思います。もちろん、私がいなくなることにより、家事の負担もその分軽くなることでしょう。ですが、ある程度の力や体力を要する仕事は、親だけではどうしようもないだろうと思います。

私が親に依存する関係⇒相互依存の関係へ?


よくよく考えると、これは、親子関係が新たな段階に入りつつあるのかもしれません。これまでは、引きこもりがちの私が親にほぼ一方的に依存するかたちでした。ですが、今では親が私を頼りにする場面も増えているのです。といっても、現段階では私が依存する割合の方がずっと大きいのですが、このまま親の衰えがますます顕著になると、親子関係は相互依存の関係に変わるのではないかと思えてきます。

相互依存にまでなってしまうと、私の身体は、いわば私一人だけのものではなくなります。私の身に何かあれば、親の生活にも影響が出るのです。もちろん、相互依存ならその逆もあります。ですが、高齢の親と、引きこもりがちで不安定な職業的立場にある私の組み合わせには危ういものを感じます。

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自分自身を客観視すると……

観客の視点で見る


「私が歌ってるところを、YouTube に投稿してください!」

私が好きなある若手女性演歌歌手は、自分のステージをファンが撮影し、YouTube に投稿することを歓迎しています。後で自分自身が歌う姿を YouTube で見ると、観客の視点で見ることができ、勉強になるからとのことです。

このように観客の視点で見ることを、室町時代の能役者である世阿弥は「離見の見」と呼んだそうです。著書『花鏡』の中で、その能楽論が展開されているそうです。

高い視点で俯瞰する


「離見の見」は、現代で言う「メタ認知」ではないかという指摘があります。「メタ認知」の厳密な定義は知らないのですが、もう一人の自分が一段高いところから、自分自身の考えや行動などを俯瞰し、客観視するようなイメージでしょうか。「メタ」は「高次の」という意味だそうです。

メタ認知というと、よくイチロー選手がこの能力が高いと言われます。スポーツに限らず、この能力を高めると様々な効用があるそうで、メタ認知能力を高めようという話を目にすることがあります。

私が自分自身を客観視すると……


私も時々、自分で自分のことを客観視してみることがあります。私は厳密には引きこもりに当たりませんが、それに近い存在です。齢を重ねてきており、昨今問題視されている高年齢化する引きこもりに近いです。そんな私が、あのような行動や、このような行動をとったら、客観的に見てどうなのだろうと考えるのです。

例えば、高年齢引きこもりに近い私が、特定の若手女性演歌歌手に興味を持ち、ステージを見に行ったりファンクラブに入ったりする様を想像してみます。客観的に見て、これはキモイような気がします。歌手や周囲のファンによっては、迷惑に思う人もいる方もいるでしょう。それよりも、今の私には他にするべきことがあるようにも思えてきます。

このように自分を客観視することは、分をわきまえた行動につながる傾向が私にはあります。ですが、悪く言えば、自分を卑下したり、消極的になったりといったことにつながっているようにも思えます。これをさらに推し進めると、家事手伝いで買い物一つ行くことにも消極的になってしまうかもしれません。「自分のような存在が買い物に行くと、周囲の客や店員に迷惑では」となるのです。これでは、引きこもりに拍車がかかりかねません。

私の場合あまり自分を客観視しすぎない方がよいのか。そうではなくて、客観視の仕方が間違っているのか。それにしても今回の記事は、自分自身を客観視する様を、客観視しているような感じです。

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