幼女に声を掛けようかと思ったが……

暗い中、一人で長距離を歩く3~4歳の子


帰宅途中、夜の7時になろうかという時間でした。ふと気付いたら、3~4歳ぐらいの女の子が一人で歩いていました。この子の歩く方向は私の帰り道と同じで、私より先を早足気味で歩いていました。この近辺には子供も多いので、そんなに珍しい光景ではないかもしれません。

ですが、この子はいつまでも一人で歩き続けていました。3~4歳の子にしては結構な距離です。終いには、大通りまで一人で横断してしまいました(私も方向が同じだったので、横断しました)。

あんな小さな子が長い距離を、しかも間もなく夜7時になろうかという暗い時間帯に、大人の同伴もなしに一人で歩き続けているのは少し妙ではないかと思い始めました(この話は少し前の出来事で、当時の夜7時は少し暗かったです)。

もしかすると、親にはぐれて迷子になった可能性もあると私は思うようになりました。

迷子?


ですが、確証はなく、思い過ごしかもしれませんでした。もし本当に迷子なら、不安になって泣いたり、道が分からないようなそぶりを見せたりするように思われました。実際、私が小学生の頃、このあたりで迷子になり、泣いて泣いて、通りがかりのおじさんに声を掛けてもらって助かったことを今でも覚えています(情けない……)。ですが、その子は、どこか目指す先があるかのように、ほぼ迷うことなく直線的に早足で歩き続けていました。

ですが、本当に迷子だったら問題です。そこで、声を掛けてみようかと思いました。ですが、このご時世、見知らぬ子に声などなかなか掛けられません。おまけに、私は定職に就いていないといっていいオッサンです。こんな私が、夜道で幼女に声掛けという構図は、客観的に考えてどうだろうと思いました。

私が迷っている間に、その子はあるチェーン店の駐車場に入り、そのあたりで私はその子を見失いました。さらに追おうと思えば追えたようにも思えるのですが、そこまでのことはしませんでした。私の帰り道とは方向が違いましたし、見知らぬ子にそう付きまとうものではありません。それに、あのお店には人が多く集まっていたので、一人で夜道を歩くよりは安全だろうと思ったのでした。

これでよかったのだろうと思っています。それにしても、あの子は何だったのでしょう。

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私が子供の頃の学習指導要領が掲げた、教育目標

私が子供の頃の、学習指導要領を斜め読みしました。

どうしてそのようなものに私が関心を持ったのでしょうか。それは、当時の教育関係者は、私を現在のような社会参加できない者に育てるつもりはなかっただろうと考えるからです。お恥ずかしい話です。

どこかで、私が学習指導要領が掲げた教育目標を達成できなかったに違いありません。そこがどこかを探ってみようということです。

そういうわけで、私が特に注目したのは、学習指導要領の「目標」です。例えば、以下は、平成元年改訂の小学校学習指導要領が掲げた目標です。

国語を正確に理解し適切に表現する能力を育てるとともに、思考力や想像力及び言語感覚を養い、国語に対する関心を深め国語を尊重する態度を育てる。

こういう目標が、各教科等に掲げられています。これを見ていくと、当時の文部省がどのような児童生徒を育てようとしたかが分かります。

というわけで、当時の学習指導要領を読み進めてみました。

↓ 文部科学省ホームページへのリンクです。
◇ 学習指導要領 (新しいウィンドウで開く

私にとって問題になりそうなのは、主要科目よりも、それ以外の科目の教育目標でした。特に、「特別活動」です。例えば、以下は平成元年改定の高等学校学習指導要領より、特別活動の目標です。小学校や中学校についても、だいたい同じようなことが書かれてあります。

望ましい集団活動を通して、心身の調和のとれた発達と個性の伸長を図り、集団の一員としてよりよい生活を築こうとする自主的、実践的な態度を育てるとともに、人間としての生き方についての自覚を深め、自己を生かす能力を養う。

特別活動とは、ホームルーム活動、生徒会活動、クラブ活動、学校行事などのことです。思えば、学校生活の中で私が最も苦手とする分野でした。このような特別活動の目標を十分に達成しないまま、卒業してしまったのかもしれません。

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若い人から、一応年長者としての扱いを受ける

私に対してかしこまる人


私に対してかしこまったり、遠慮がちにしたり……

ここ何年か接してきた人の中には、私に対してこのような態度を見せる人が時々いました。

これは実世界で接してきた人の話で、インターネットの世界の話ではありません。具体的には、職場、引きこもりの居場所、親戚の集まりなど様々な場面でです。

どうしてこのような態度をとられることがあるのか、ある日考えたところ、おそらくこういうことではないかという一応の結論に達しました。それは、私が年齢を重ねているからではないかということです。思えば、私にこうした態度を見せる方は、みな私より若い人でした。

若い人が年長者にかしこまったり、時に遠慮がちになったりすることは、不思議なことでも何でもありません。むしろ、このことに今まで気づかなかったことの方がよほど不思議です。

自分はぞんざいな扱いを受けるものとばかり……


言い方は悪いですが、私は社会から蔑まされるような存在だと感じています。子供の頃にして既に、いわゆるスクールカーストの底辺にいるような存在で、いじめを受けたりもしました。家庭でも立場は弱いです。このため、自分は人からぞんざいな扱いを受けるものとばかり思い込んでいたのでした。

若い人が年長者にかしこまったりするのは自然なことですが、若い人にとって私が近寄り難い存在になりすぎてもよくありません。あまり行き過ぎるようなことがあれば、日頃の振る舞いを考え直す必要も出てきそうだと考え始めてさえいます。それにしても、私も年をとったものです。

もっとも、これは私の思い違いで、私があのような態度をとられる理由は別のところにある可能性もあります。「あの人浮いてる」と思われているからだとか、「キモイ」と遠ざけられているからだとか……。

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