コミュニケーションのモデル

大学時代、私は無口でなかなか人と話せず、コミュニケーションをとるのが大の苦手でした(今も苦手ですが)。どうすれば人とうまく意思疎通を図れるようになれるか考えたところ、思いついたアイデアが、誰か自分より人との接し方が上手な人をお手本にするというものでした。

といっても、もともと交友関係が極端に乏しかった私にとって、お手本に選べそうな人はほとんどおらず、結局、ゼミの指導教官ぐらいしかお手本にできそうな人は見つかりませんでした。もっとも、先生は人生経験が豊富な方だったので、よいモデルのように思われました。このような次第で、私はゼミの先生の言動を真似るようになりました。

■ もっぱらご自身のことを話される先生

それはそれでよい試みだったと思うのですが、一つ問題がありました。それは、先生が私にゼミ以外の場面で話をされる際、ほぼもっぱら、ご自身のことを一方的に話されていたことです。私はそれをお手本にしてしまい、誰かと雑談するときは自分の話ばかり一方的に相手に聞かせるようになってしまいました。ですが、一般に、自分の話ばかりする人は嫌われます。

先生の悪い癖を真似てしまった、と後年思いました。人のコミュニケーション技術を真似る際には、予めどのようなコミュニケーションの取り方が良いか、あるいは悪いかを本などで学んで、良いところだけを吸収した方がよかったと、考えるようになりました。

ですが最近、新たなことに気づきました。どうしてゼミの先生が私に一方的にご自身の話ばかりされていたかというと、そもそも私が無口で先生に話すことがほとんどできなかったからではないかということです。よくよく考えてみると、先生は私以外と話される時は、聞くことも大事にされていたのでした。私はそちらを真似るべきだったのでした。

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「学校でできる対人関係スキル・トレーニング」

児童心理増刊 学校でできる対人関係スキル・トレーニング 2010年 10月号 [雑誌]「コミュニケーション」の授業というお恥ずかしい記事を、ずいぶん前に書いたことがあります。

最近は、ソーシャルスキル・トレーニングが学校現場でも周知されるようになっているそうで、学校における子供の対人関係力の育成に新しい動きがあるようです。今や、学校が子供に対人関係のスキルを教える時代に入りつつあるのです。

教育関係者を主な読者対象としているとみられる『児童心理』という雑誌があるのですが、その2010年10月号臨時増刊号では「学校でできる対人関係スキル・トレーニング」と題し、子供へのソーシャルスキル・トレーニングやアサーション・トレーニング等を通じて、子供の対人関係を営む力を学校場面において育むための試みについてまとめられています。

冒頭では、ニートやフリーターにまで言及があります。対人関係スキル・トレーニングを通じて、子供たちが将来ニート、フリーター化するのを未然に防ぐ一助にしようということなのでしょう。私などは、ニートやフリーターは、対人関係の問題ばかりでなく、労働市場などその他の問題も深く関係しているのではないかと思うのですが、教育関係者としてはこうした面に注意が向くのは自然なことだろうとも思います。

学校教育で、子供の対人関係力の育成を考えるには、ここで取り上げられているトレーニングは、賛否はともあれ知っておくべきかもしれません。

私はもう学校に通うような齢ではありませんし、今さらこのようなものを読んだところで自分自身の対人関係力を伸ばすことはできないだろうと思いつつ読んだのですが、得るところもありました。対人関係がうまくいかないのはスキルが足りないからであって、そのスキルは訓練によって獲得が可能という、ソーシャルスキル・トレーニングの基本的な考え方は、改めて参考になりました。ただ、アサーション・トレーニングは、前にも書いたとおり、私には合いません。

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内気な人の気持ちが分からなくなってきた

昔の私は、とんでもない引っ込み思案な男でした。ですが、今ではそれほどでもありません。

そんな私が、ひきこもりやニート等の人を対象とした支援施設に行くと、今の自分よりもかなり内気だと感じる人と出会うことがあります。施設によって多少の差はありますが、シャイなタイプの人の割合がやや多いです。性格というよりはむしろ、なにか病的なものが内気の背景にあるのではないかと感じることもありますが、これは人にもよります。

こうした人に出会ったとき、かつての私は、彼らに共感を覚えたものです。元内向的人間として、彼らの気持がよく分かるとまでは言いませんが、分かるところがあるとは感じていました。

■ ところが最近、内気な人の気持ちが分からなくなってきた

ところが、最近は変わってきました。彼らの気持ちが、以前に比べると分からなくなってきたのです。これはきっと、私自身がシャイだった頃が、遠い過去の話になってきているからだろうと思います。

このことは、コミュニケーション上、ちょっとした悩みにもなっています。引っ込み思案なタイプの人は、外見上、何を考えているのか分かりにくいです(これを読んでいらっしゃる引っ込み思案なタイプの方、気分を害されたらすみません)。また、私から何らかのコミュニケーションを図っても、反応が分かりやすいかたちでは返ってきにくいです。このため、私はこうした人たちにどう接すればいいか、また、自分の接し方で相手はどう思ったのか、なかなかつかみきれないのです。

その一方で、今度は、内気ではない人の気持ちが少しずつ分かってきたような気もします。また、内気でない人が、内気な人をどういうふうに見ているか、さらには、かつて内向的だった頃の私に接しようとしてくれた外向的な人の気持ちも分かってきたような気もします。

■ 人の気持ちを謙虚に「分からない」と考える姿勢も、時には大事では

ただ、人の気持ちが分からないと感じることも、時には大事なことではないかと思います。私はシャイな人の気持ちが分からなくなってきましたが、このことが、人の気持ちをいわば「知ったかぶり」するのではなく、謙虚さをもって「分からない」とする姿勢を持たせるものだと考えれば、必ずしも悪いことばかりでもないのかもしれません。

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