私の半生 | 学校不適応を自分のアイデンティティにしてしまう

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私の半生シリーズ、今回は第19回です。前回の話「考え方が極端?」はこちら。また、このシリーズの目次もあります。

高校時代、急にちやほやされてしまう


びっくりしました。高校時代、校内の将棋のミニ大会に出場したときのことです。将棋とあって、会場は男子ばかりだったのですが、そこに私のクラスの女子が何人もやってきました。私の応援のためだったのです(私は男です。ちなみに、私はその大会で初戦敗退しました)。

いじめられるわ、友達いないわと、人間関係面で充実しているとは言いがたい小中学校時代を送っていた私ですが、高校時代は違いました。それまでの人生で経験がないほど、ちやほやされてしまいました。

私は高校でも大変な無口&引っ込み思案で、自分から人間関係を作ることはできなかったのですが、クラス内でも特に活発な中心グループの生徒をはじめ、他クラスの生徒まで、色々と仲良くしてもらいました。冒頭でもお話したように、女子からも受けはよかったです。高1のときは、クラス委員長に推薦され、選挙の結果、当選してしまいました。

先生方からも高く評価されていました。お会いしたことのない先生まで、私のことを優秀な生徒としてご存じだったりして驚いたこともあります。

長年にわたって根付いた劣等意識は変わらず


これには、学校環境が関係していたことは間違いないでしょう。私が通っていた学校は部活動、特に運動部が盛んだったのですが、学業面については発展途上にありました。こうした学校に、中途半端に勉強熱心で成績がいい私のような生徒が入学するとどうでしょう。私程度でも「勉強ができる生徒」「頭がいい」として、ちやほやされてしまうのです(ちなみに、私は帰宅部で、運動は全然だめでした)。

ですが、私はこれに浮かれることはありませんでした。学業面については、大学進学を考えるのであれば、校内での位置付けよりも全国での位置付けの方が重要で、浮かれることはできないのはもちろんのことです。ただ、それだけではありませんでした。

私はそれまでの学校生活(もっと言うと、入学以前の幼稚園の頃にまで遡ります)の中で、いじめを受けたり、落伍したり、孤立したり、そうしたことを長年にわたってさんざん繰り返す中で、そうした自分の姿が本来の自分という意識を強く持つようになっていました。学校不適応を、自分のアイデンティティにしてしまっていたのです。

このため、高校になってちやほやされても、そんな柄ではない、違和感がある、浮かれていてはいけないなどと考えてしまったのでした。長年にわたって根付いた劣等意識は、そう簡単に変わることはなかったのでした(続く。不定期掲載)。

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私の半生 | 考え方が極端?

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私の半生シリーズ、今回は第18回です。前回の話「高校で浮く」はこちら。また、このシリーズの目次もあります。

「嘘をついたり、人を巧妙にだましたりして生きていくのが社会人」


「世の中は厳しい。会社で暴力とかいじめ自殺などはけっこう普通に起こっていそうだ。嘘をついたり、人を巧妙にだましたりして生きていくのが社会人なのだろう。私は将来そういう場に参加していかなければならない。だが、私にそれができるだろうか」

私が10代前後の頃に思い描いていた社会像です。なんというバイオレンスな社会像でしょう。

「世の中は厳しいんだぞ!社会は厳しいんだぞ!」私の親はよく、私にこう説いていました。私はそれを上のように解釈してしまったのです。

「100円は大金」


「お金は大事だ。100円だって大金だ。自動販売機で飲み物を買うなんて、とてもじゃないができない。100~100数十円は、あまりにも高すぎる」

私が10代前後の頃の金銭感覚です。これが小学生だったら、確かに100円は少額ではないという感覚は不自然ではないかもしれません。ですが私の場合、中学高校以後もそうでした。少し変わっていたかもしれません。

私は子供の頃から、大人からお金の大切さを教わっていました。私はそれを少し極端に解釈してしまっていたのではないかと思います。

100円が大金といっても、実際は食費や光熱費等で、日々それを大幅に上回る金額が家計からとんでいます。私もそれは分かっていて、自分の持つ金銭感覚は非合理であるという自覚はありました。ですが、この金銭感覚からどうしても自由になることができなかったのです

物事を少し極端に解釈する傾向?


このように、10代前後の頃の私には、物事を少し極端に考えてしまう傾向があったかもしれません。

私が学業に偏重した中学、高校生活を起こっていたのも、こうした傾向が一因でした。進学校を出た私の親は、「偏差値が高くない高校や大学を出ても、就職先ないぞ」というような意味のことを言っていました。それを聞いた私は、こう解釈してしまいました。

「偏差値が高くない学校(高校の入学偏差値50前後以下が目安)を出た人は、みな就職できず、路頭に迷ってしまうんだ」自分でもおかしいという自覚はありました。ですが、こうした発想から自由になることは、10代前後の頃にはなかなかできなかったのです。

この極端に考える癖は就職についてもあったかもしれません。「~な若者は就職できない」という認識か間違った思い込みかよく分からないものが私にはたくさんあって、自縄自縛のような状態に陥ってしまうのですが、これについては後ほど書こうと思います。

こうした傾向は、10代の若者としては正常な個人差の範囲なのか、それともそうではないのか、私には分かりません。

そして、なぜこんな考えをしてしまっていたのかも、いまだに分かりません。一人でいることが多かったことからくる「世間知らず」なのか、「認知の歪み」というものなのか、それとも単に私がアホだったのか、何なのか整理がついていません。

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私の半生 | 高校で浮く

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私の半生シリーズ、今回は第17回です。前回の話「高校に入学する」はこちら。また、このシリーズの目次もあります。

校風に合わない生徒


高校では、私は浮いていました。

私は入学前より、高校はなにより勉強するところと考えていました。加えて、「高校受験の失敗は、大学受験で取り返せばいい!」というある先生のお言葉の影響で、勉強偏重の学校生活を送っていました。

ところが、私のようなタイプの生徒は、この高校にはそう多くはありませんでした。この高校は、勉強よりも部活動が有名な学校だったのです。私がこの高校に入ったのは、受験の結果、志望校に入れなかったからでした。

このため、この高校では、私は学業面で目立つ生徒になり、中学時代以上に、頭がいいとか真面目などと評価されるようになってしまいました(進学校なら、逆に頭が悪いと評価されたろうと思います)。いじめを受けるどころか、なんだかちやほやされてしまいました。おかげで、高校3年間、人間関係に悩むことなく過ごすことができました。環境というのは大きなものです。

一人で勉強ばかりする高校生活


ただ、学校に行くと極端な引っ込み思案になり何も話せなくなる問題は、中学時代以前とあまり変わりありませんでした。高校では多少は声が出るようはなったものの、私ほどの生徒は周囲を見渡しても誰もいない、引っ込み思案といっても他のシャイな生徒とはレベルが違いすぎるといったところでした。「友達なんていなくてもいい」という変わった意識も相変わらずでした。

これに学校で浮いていたことも手伝って、決まった友達は一切いないという、孤立しがちな学校生活を、高校に入っても続けることになりました。ですが、私はむしろそちらの方が好都合と考えていました。勉強のためなら友達の存在は障害になり得ると考えていたのです。実際、この高校には、友達は勉強の邪魔だとおっしゃる先生もいました。こうして、一人で勉強ばかりする勉強偏重の高校生活を送りました。

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