学校に行くに値しない人間→不登校へ?
私は小〜中学校の頃、このような考えにとらわれていたことがあります(私だけでしょうか?)。
私は子どもの頃から、自分は価値のない人間だと考える傾向がありました。それが、いじめを受けることによって、ますますその傾向が強くなっていきました。
「自分は価値のない人間で、学校教育を受けるにも値しないのではないか。クラスには、自分が学校にいることを迷惑に感じている人が多いだろう。例えば、自分が学校にいるばかりに、いじめが起きて、クラスの雰囲気が悪くなっている。先生だって、内心自分のような生徒はいなくなってほしいと願っているのではないか。自分のような生徒は不登校になった方が、みんながより幸せになっていいのではないか」
今にして思うと不思議なのですが、当時は本当にこう思いつめていました。
もしかすると、軽度のうつだったのかもしれません(おそらく違うのではないかと思うのですが…)。しかし、診断を受けたわけではないので定かではありません。
それでも不登校にならなかったのは、自分には教育を受ける権利があるという考えの方がまだ幾分強かったことと、クラスの中にはいじめをかばうなど、私の味方をしてくれる人がいたからでした。
しかし、もう少しで不登校になるところでした。もし不登校になったら、大方「いじめの辛さに耐えかねて学校に行かなくなった」などと、間違った受け止め方をされたことでしょう。人間、何か分からない問題が起ると、自分の知っている範囲内のことで説明しようとすることがよくあります。まさか、「自分は学校に行くに値しない人間だ」などと考える子どもがいるとは、想像できる人はなかなかいないでしょうから。
義務教育の根拠
すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。
(日本国憲法第26条第2項)
日本の義務教育は、「教育を受ける義務」ではありません。「教育を受けさせる義務」といった方が適切です。
それにしても、どうして義務教育というものがあるのでしょうか。義務教育には消費者の選択の自由がなく、消費者主権に反しています。
親の中には、こういう人もいるかもしれません。
「息子には将来家業を継いで欲しいと思っている。息子もそのつもりだ。しかし、普通教育で学ぶ内容には仕事には役に立たないものが多い。自分の息子は、学校ではなく、私自身の手でみっちり育て上げたい」
しかし、このようなことは許されません。
このように、個人の自由に制限をかけてまで義務教育を行う根拠はどこにあるのでしょうか。経済学的に考えてみます(たぶん以下の説明で合ってると思うのですが、間違いがあったらご指摘ください (>_<))。
■ 普通教育を受けるのは、社会的に望ましい
その根拠は、子供が普通教育を受けることは社会的に望ましいと考えられることです。要するに、普通教育を受けるのはいいことじゃないか、という結構単純な根拠です。このため、国民に普通教育を受けさせるよう義務付けよう、ということになります。[1]
神経症的不登校児、社会適応したが…
↑ ここで被験者とされている不登校経験者は、年齢が21-26歳、現在社会適応している、不登校児を対象とした高校を卒業した、その高校に入学した時点で神経症的不登校と精神科医に診断を受けた等、様々な限定句付きです。
被験者とされた不登校経験者は高校を卒業し、現在は社会適応しているにも関わらず、バウムテストによると、対照群より神経症サインの項目が多く、樹冠も未成熟でした。不登校経験者は心理的不安定でそれに伴い対人関係も未成熟ではないかと推測されています。
この論文を読んでいると、色々な考えが浮かんできます。
この不登校経験者たちは、もともと神経症的不登校だったそうですが、神経症が十分に治らないまま社会適応したのでしょうか。もしそうだとしたら、神経症があっても社会適応できないことはないということなのでしょうか。ただ、この研究の被験者は、先ほどお話した通り、「神経症的不登校児のうち社会適応した成人たち」です。神経症的不登校児のうち、どれだけの割合が社会適応したかは分かりません。私などは、表面的に社会適応しているように見えても、神経症の問題が十分に解決できていないと、また以前のようにひきこもってしまう危険があるのではないかと漠然と思います。
また、神経症的不登校を起こしてから社会適応するまで十分に時間があったはずなのに、神経症が十分に治っていないというのは、どういうことなのでしょうか。学校や親はどういう対応をしたのでしょう。社会適応できるような対策はしたけれども、神経症に対しては何ら対策を施さなかったのでしょうか。それとも、対策は行ったけれども効果がなかったということでしょうか。
⇒ 人気blogランキングへ
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006262397/
↑ 上記論文は、こちらからダウンロードできます。国立情報学研究所が提供するサービスです。
不登校の家族へのアプローチ
↑ 精神科医療からの、不登校の家族へのアプローチについてまとめられています。
私は専門家でもありませんし、不登校の当事者でもないので、なるほどそういうものなのか、と考えながら読みました。
親ガイダンスなど、ひきこもりの親へのアプローチと重なる点が多かったです。
ただ、不登校の家族が抱える問題は、ひきこもりのそれと異なる点もあるはずです。
不登校の場合は、その子の教育をどうするかという問題がありますが、就労は多くの場合将来的な問題です。一方、ひきこもりの場合は、教育よりもむしろ今就労をどうするかが問題になることが多いです。
また、不登校者とひきこもり者とは、年齢層が違います。年齢層が違うと、問題の性質も違います。例えば、小学校低学年の不登校は分離不安が問題になることが多いですが、ひきこもりで分離不安が問題になることはありません。ひきこもりの場合、斉藤環氏が主張するように、「終わらない思春期」が問題なのかもしれません。また、年齢層が違うと、親と子の関わり方も違ってくるはずです。未成年の不登校児と、成人したひきこもり者とでは、親との関係が同じはずがありません。
このように、不登校とひきこもりとでは、それぞれ問題が異なり、家族が抱える問題も違ってくるだろうと思うのですが、大体においては、不登校の家族へのアプローチは、ひきこもりのそれと変わらないようです。
* * * * * * * * * *
3回にわたって続いた『精神科治療学』シリーズは、今回で最後にします。お付き合いくださり、ありがとうございました。
取り上げた論文3本のうち、2本が発達障害について触れているのが気になりました。発達障害者の不登校というのは、最近増えているのでしょうか。
⇒ 人気blogランキングへ
不登校→自宅学習で出席扱い
↑ インターネット、電子メール、テレビなどを利用した自宅学習を、一定の要件を満たせば出席扱いにするという通達が2005年に文部科学省から出されたそうです。このことにより、どういう変化が生じる可能性があるか論じられています。また、不登校の当面の課題や援助についても考察されています。
自宅学習についてですが、著者は自宅学習児の増加の可能性を指摘し、彼ら・彼女らが同年輩の集団や友人関係を十分に経験しないまま学童期、思春期を過ごすことを危惧しています。
* * * * * * * * * *
著者の主張には概ね賛成です。
ただ、不登校児の中には、自宅学習だと集団生活を経験できないというデメリットがあることを考慮し、自宅学習ではなく敢えてフリースクールへの通学を選ぶ者もある程度は出てくるかもしれません。
あと、身も蓋もないことを言うようですが、不登校児の中でも特に対人関係が苦手な子は、たとえ学校やフリースクールに通ったとしても、同年輩の集団や友人関係を十分に経験することはできないのではないかと思います。
恥ずかしながら、私などはその一例です。著者が挙げた「仲良しになる、一緒に遊ぶ、自分を主張する、人に譲る、言われたら言い返す(後略)」については、私は元不登校児でもないのに、学校ではほとんど経験がありません。それというのも、私は対人関係が苦手で、学校で孤立していたからです。
とはいえ、自宅学習への道が制度上開かれれば、利用する不登校児も出てくるでしょうし、学校でなければ経験できないことはあります。著者の主張には概ね同意です。
⇒ 人気blogランキングへ





