ひきこもりは暇か
私の親のように、普段から仕事に出ることが多く、家にいる時間が少ない人だと、たまに仕事が休みの日になると、どう過ごせばよいか分からなくなるのだろうと思います。しかし、毎日家にひきこもってばかりいる私は、家での時間の使い方をそれなりに見出すようになりました。
私の活動範囲は主に家に限られてしまいますが、その狭い活動範囲でも、できること、やりたいことがたくさんあります。そして、暇どころか、時間が足りないと感じるほどです。
例えば、自分の価値を高めるための勉強をする時間がもっと欲しいですし(この勉強が社会参加につながるといいのですが)、ブログなどホームページを更新する時間も欲しいです。食パン1枚などの簡単な食事ではなく、栄養のバランスを考えた料理を作って食べる時間も欲しいですし、睡眠時間もちゃんととりたいです。正直なところ、勉強もブログ更新も忘れて(!)、娯楽のためにたくさん時間を使ってみたいと思うこともあります。一日中家にいるとはいえ、こうしたことをする十分な時間が24時間ではとても足りません。もっとも、時間が足りないのは、単に私の時間の使い方が悪いだけなのかもしれません。
とはいえ、全てのひきこもりの人が、私のような時間の意識を持っているわけではないようです。家にいても特にすることがないというひきこもりの知人が、かつて何人かいました。私はひきこもる前からインドア志向だったので、家での過ごし方に慣れていただけなのかもしれません。
自信を「取り戻す」「回復する」という言い回し
この言い回しには違和感を感じます。なぜならば、ひきこもりの私は、生まれてこのかた自分に自信というものを持ったことがないからです。持ったことがない自信を取り戻したり、回復したりすることなど、できやしません。
もっとも、こんな私でも、個別の事柄については自信を持つことはあります。例えば、九九をそらんじることには、いくらなんでも自信を持っています。
一方、肝心の、人付き合いの自信とか、働くことの自信、社会参加の自信は、物心ついてから持ったことがありません(ですから、「失った」こともありません)。ひきこもり支援機関の中には、特にこうした自信をひきこもり者に取り戻させることを目標の一つに掲げているところがありますが、少なくとも私について言えば、こうした自信は、取り戻すことも回復することもできません。もともと持っていなかったのですから。
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このように、「自信を取り戻す」「自信の回復」といった表現には違和感を感じるのですが、もしかすると大多数のひきこもりの人は、私と違って、もともと自信は持っていたものの何かのきっかけで失ってしまったため、このような表現になったのかもしれません。
そうでなかったとしても、この程度の言葉の問題は些細なことだろうと思うので、あまり大きく騒ぐつもりはありません。「自信を『つける』という言い方に変えろ!」などと声高に叫ぶつもりもありません。強いて言えば、このような表現を使うひきこもり支援施設は、私のようなひきこもり者について、正しい理解ができるのだろうかという疑問を感じないまでもないのですが、まあ、考えすぎでしょう。ただ、少し気になったので書いたまでです。
就労支援デイケアの内容
↑ 大学紀要です。とある精神保健福祉センターで試行的に実施された、就労支援デイケアの内容がまとめられています。デイケアの対象は、精神障害者グループと、社会的ひきこもりグループです。
具体的にまとめられた就労支援の内容は、私のような当事者にも参考になります。問題の解決案を長所と短所に分けて整理する等のノウハウは、デイケアに参加していないひきこもりの人でも、活用できそうです。
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ところで、私が参加しているひきこもりデイケアでは、上のような就労支援は行われていません。どうやらこのデイケアでは、社会に居場所がなく、家でひきこもるしかない人に、安心して参加できる居場所を提供しようというのが、一つの趣旨のように感じます。実際、同席している心理士は、就労の話を積極的にすることは滅多にありません。こうした話は、ひきこもり者にプレッシャーを与えるからでしょう。このため、デイケアは、まだ就労という段階までは踏み出せないけれども、家から出ることはできる、という人でも安心して参加できる場になっています。
私が参加するデイケアで上のような就労支援を行うには、問題がありそうです。それは、家から出ることならできるという段階のひきこもり者が、就労のプレッシャーを感じ、安心してデイケアに参加しづらくなると考えられるからです。
それならば、ひきこもりの段階によって、デイケアを分ければよさそうにも思えます。家から出たばかりというひきこもり者には従来通りのデイケアを、ひきこもり状態が改善して就労を前向きに考えられるようになったひきこもり者には就労支援を、と分けるわけです。しかし、私が住んでいるような、ひきこもり者が集まりにくい小さな地方都市では、そのようなことはなかなかできそうになく、就労支援を行うとすれば、ここが課題となるでしょう(ただ、上記論文の精保センターが所在するような大都市であれば、話は別です)。
また、最近では、上記紀要で報告された就労支援事業が始まった頃には十分に整備されていなかった、地域若者サポートステーションという就労支援施設が全国各地に設置されています。精保センターが就労支援を行うのであれば、サポステとの役割分担も課題になってきそうです。
なお、上記報告は、インターネットで無料で読むことができます。
ひきこもりと若年性健忘症

会話の減少が原因で、20〜30代にして健忘症になってしまう若者が増えているという話だったと思います。うる覚えですが、若年性健忘症を防ぐ方法の一つは会話をすることで、それも家族以外の人と会話をすることがよいという話でした。
考えてみると、私はニート、ひきこもりになってから、いよいよ人と会話をしなくなりました。せいぜい親ぐらいとしか話をしません。日中はウェブサイトの管理をしたり(複数のサイトを持っているので、これだけでも結構な時間になります)、勉強や家事をしたりして過ごしていますが、一人で黙々と作業する時間が多いです。家族以外との会話では、ひきこもりデイケアに参加して、いつものメンバーと話をする程度です。
このような生活を続けて、若年性健忘症になることはないのでしょうか。あまり物忘れがひどくなると、今度はまた別の理由で就職できず、ニートひきこもり生活を続ける破目に遭いかねません。
最近、高校・大学の頃に比べて、物忘れが若干悪くなったような気もします。用事があって二階に上がったところ、どのような用事で二階に来たかを忘れてしまうことが以前よりも増えた感じがします。ひどい場合だと、英語で書かれた本を読んでいるとき、気になる英単語の意味を辞書で調べることがあるのですが、調べ終わって英語の本に再び目を移したところ、先ほど(ほんの1秒ほど前に)調べた英単語の意味を忘れてしまった、ということもあります。
とはいえ、物忘れは、ニート、ひきこもりの人でなくても、私ぐらいの年齢になれば、多かれ少なかれ誰だって経験するものだろうと思います。私の物忘れがニート、ひきこもり生活のためかどうかは分かりません。
なお、ある新聞記事によると、[注] 加齢による物忘れならば、実はそう悪いことでもないという研究者もいるそうで、それは最近新版が出た Progress In Brain Research と言う本に書いてあるそうなのですが、価格、ページ数、言語ともに敷居が高い本で、とても読めません。
[注]
◇ Reistad-Long, S. (2008, May 20). Brain power and the advantages of aging. International Herald Tribune. Retrieved June 2, 2008, from
http://www.iht.com/articles/2008/05/20/
healthscience/snold.php.
社会適応のためにカラオケ(後編)
■ デイケア本番
「予習」を終えて、いよいよデイケアの日がやってきました。ひきこもりメンバーと心理士で、カラオケボックスに行きました。
しかし、大勢(といっても、私を合わせて6人)の前で歌を歌うのは想像以上に不安を伴うことでした。考えただけで、体中に汗が出てきました。おまけに、「予習」段階で試しに歌ってみた歌が、このカラオケボックスではないではありませんか(カラオケに慣れていなかったので、予想もつきませんでした)。
私は「歌ってみたら」と誘われたのですが、断ってしまいました。小さくなっている私をよそに、周りのメンバーや心理士が気持ち良さそうに歌っていました。
これではよくありません。この日のためになんのための「予習」をしてきたのか、分かりません。そこで、ある人が歌い終わった後、一念発起して「私、歌います!」と言い出し、メンバーの了承をいただいた上で、リモコンを取りました。しかし、緊張のあまり、リモコンを持つ手が激しく震えました。歌いたい曲を指定しようにも、思うようになりません。
何度も失敗して、ようやく指定したのが、天道よしみの「道頓堀人情」でした。私は演歌が好きですが、若い人の間で流行っている歌のことはよく分かりません。歌っている最中も、緊張のあまり、マイクを持つ手は震えるわ、汗はダクダク出てくるわで、大変でした。それでもなんとか3番まで歌いきったのでした。
なんとも情けないカラオケ体験でしたが、大勢の前でカラオケで歌うのは初めてだったので、このようなものなのかもしれません。
■ デイケア後の反省
無事デイケアは終わったのですが、私が気になったのは、一緒に参加していたあるベテラン男性心理士でした。この方は「カラオケは歌えない」ということで最後まで1曲も歌うことがなかったのですが、聞き役に周って、カラオケの場を盛り上げていたのでした。なるほど、カラオケが歌えないなら、こういうするのも一つの手かと勉強になりました。
もう一つ。私は大勢の前で好きな演歌を歌ったのですが、カラオケに参加していた人は、ベテラン男性心理士を除いて全て若い人たちです。演歌など聞きたくなかったに違いありません。先日、あるテレビ番組で、若い演歌歌手が、「みんなと一緒にカラオケに行く時は、気を遣ってポップスを歌うけれど、一人でカラオケに行く時は演歌ばかり歌っている」というようなことを話していて、その社交性の高さに感心したのですが、こうした配慮が必要だったでしょう。







