私の半生・0~4歳

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私の半生シリーズ、今回は第2回です。前回の話「 私の半生・はじめに」はこちら。

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誕生と両親


私は核家族の長男として誕生しました。体重3,000グラムの元気な子だったそうです。父は民間企業のサラリーマンで、母は家事に従事していた、当時一般的な中流家庭でした。

父は若い頃「神童」と呼ばれた文武両道の人で、会社でも優秀な技術者として活躍していたそうです。一方の母も学業が得意で、地元では進学校と呼ばれた高校を出ています。当時はあまり問題化していなかったのですが、母の実家には人間関係の構築が苦手だったり、精神疾患にかかったりして、社会適応に苦労した人が多いです。私は容貌といい性格といい、母の実家の血を濃く受け継いでいると後によく言われました。

私は言葉の遅い子だったそうです。母は「知恵遅れではないか」と心配し、専門機関に相談に行ったと聞きます。相談の結果、専門家からどういう助言があったのか、何か診断があったのか等については私は知りません。結局、3歳になって初めて言葉が出ました。

あと、母の言うことをろくに聞かない子だったとか、赤ん坊の頃は粉ミルクで育てたという話を聞いています。「生まれてからもたいした病気もせず、すくすく育ってあまり手のかからない子」だったとも後に回想しています。

4歳まで遊んで過ごす


当時の私の住まいは関西地方の新興住宅地でした。家の近くには5歳から入園できる一年保育の公立幼稚園があり、後に入園することになるのですが、この幼稚園に入るまでは、近所の子供たちと遊ぶ毎日を送りました。

私の家は団地の外れにあった、小さな一軒家が10軒ほど並んだ一角にありました。団地には子供がたくさん住んでいたのですが、住んでいる場所が若干離れていたこともあり、団地の子とはこの時は友達になれませんでした。私は近所の小さな一軒家に住む少数の子たちと遊んでいました。遊び相手は1歳年上の女の子と、その弟で1歳年下の男の子でした。

4歳あたりの頃、近所に同い年の女の子が引っ越してきました。初めて同い年の子と友達になれる!と期待した私でしたが、彼女は私のことを相手にはしてくれませんでした。構ってほしかった私は、この女の子に意地悪をしてしまいました。このときのことは後悔しています。

色々と遊ぶ中で、近所にご迷惑をかけたりすることもあるなど、この頃の私はやんちゃな男の子でした。周囲と馴染めないとか、人が怖いとか、そうしたことはまだ感じてはいませんでした。同年代の子との関わりがあまりなかったので、幸か不幸か、自分が一般の子と比べてどういう子なのかはまだ分からず、外では伸び伸びと遊んでいました。

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◇ 私の半生・幼稚園不適応 (新しいウィンドウで開く

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