私の半生・小学1~3年

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私の半生シリーズ、今回は第5回です。前回の話「私の半生・小学校不適応」はこちら

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授業についていけるようになる


私は小学校入学直後、学校についていけずに早くも挫折感を味わいました。私は特に勉強面で親に相談したところ、計算ドリルを買ってもらいました。ドリルの問題を頑張って解き続けたところ、算数はついていけるようになりました。

国語、理科、社会といった他の科目もだんだんとついていけるようになりました。授業をしっかり聞いて、宿題は欠かさずこなしていたこともよかったのでしょう。図工では賞をもらったり、2年生の頃には音楽のリコーダーを大の得意にしたりと、実技系科目でも活躍できる場面も出てきました。

友達も、少ないながらもできるようになりました。小学2年生の頃には昆虫に詳しくて、同級生から「昆虫博士」と呼ばれ半ば尊敬されることもありました。

ただ、体育は相変わらず苦手でした。小学生の男の子で運動がだめというのは人間関係にも影響を与えます。クラスでは最も目立たない大人しい男の子で、いじめを受け続けました。

習い事で、苦手なことを克服しようとする


学校外では、2年生あたりから書道教室に通い始めました。字がとても汚いからなんとかしたいと親に相談したのです。また、3年生になると、今度は苦手な体育をなんとかしようと、併せて水泳教室にも通うようになりました。どちらの習い事でも友達はできませんでしたが、私は字や水泳の上達にしか関心がなかったので気にはしませんでした。

私には苦手なことが多く、劣等感と無力感を強く持っていたのですが、苦手なことを克服しようとはしていたようです。それを結果に結びつけるためには、まだまだ努力を継続しなければなりませんでした。

家庭での私は


家庭では相変わらずへまばかりして、母から叱責を受ける毎日を送っていました。私の劣等感と無力感は強化されるばかりで、時にかなり思い詰めたりもしました。「長男だから厳しめに育てた」と後年、母は語っています。母から褒められたことはほとんどなかったのではないかと思います。

一方の父はおおらかな人で、母のように頻繁に怒ることはありませんでした。母のことを「洋のこと、怒りすぎだ」とたしなめることもあったと聞きます。ただ、小学3年の後半になると父は体調を崩すようになり、ついには入院してしまいました。

両親とも、私に何か特定の職業に就かせたいという意思はなく、例えば演歌歌手にさせるべく子供の頃からコブシの効かせ方をレッスンするとか、そのようなことはありませんでした(もっといい例えがあるような……)。私はどうかと言うと、普通の人生を送りたいと漠然と思っていました。普通に学校を卒業して、どういう職業に就くか分からないけれども普通にサラリーマンになって、普通に生きていければなどと考えていました。欲のない子だったと思います。

あと、この頃は、家庭としてまだ外向的なところがありました。休日には時々家族でドライブに行きましたし、近所付き合いもありました。

劣等感と無力感は増すばかり


以前よりも小学校でうまくやっていけるようになった私でしたが、私の劣等感と無力感はなぜか増すばかりでした。多少の成功体験のようなものを積んでも自分を高く評価することはあまりできず、悪い経験ばかりが私に影響を与え続けました。

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◇ 私の半生・転校⇒学校で口が利けなくなる (新しいウィンドウで開く

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