心理カウンセラーなんかに、考え方を変えられてたまるか!(怒)

Teach Yourself Psychology で心理学の勉強中です。

depressive attributional style って、何て訳すんでしょう。「抑うつ的帰属スタイル」 ?

■ 物事を悲観的に考える人

要するに、悲観主義のことでしょうか。いつもクヨクヨしていて、物事がどんどん悪い方向に進み、しかもそれは努力によって変えることができないんだという自己破滅的なものの考え方。

物事を悲観的に考えると、病気に対する抵抗力が弱くなり、健康にも良くないのだそうです。どこかで聞いたことがあるような話です。

そう言えば、場面緘黙症で苦しんでいる人で、緘黙症とは何の関係のない病気をたくさん持っている人を私はときどき見かけるのですが(私もそうでした)、もしかするとこれは、悲観的なものの考え方と関係しているのかもしれません。こういうタイプの人って学校で話せないせいか、たいていクヨクヨしていて、抑うつ傾向が強いんです。

心理学では「認知療法」(cognitive therapy)といって、こういう考え方の傾向を変えようとする療法があるようです。はっきり言って、大きなお世話です。
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■ 物事を楽観的に考える人

これとは逆に、物事を楽観的に考え、自分の人生は努力によってコントロールできると考えるタイプの人は、落ち込みにくく、病気に対する抵抗力も強いのだそうです。これも、どこかで聞いたことがあるような話です。

こういう次第で、セリグマン(Seligman)という心理学者は、著書『オプティミストはなぜ成功するか』の中で楽観主義をすすめているのですが、大きなお世話です。それにしても、この本、Amazon.co.jp での評価はなんとも微妙です。

オプティミストはなぜ成功するか

■ 統制の所在

先ほど、物事を自分の努力で変えることができるか否かというお話をしましたが、これは心理学では「統制の所在」(Locus of Control)と呼ばれているそうです。

自分の努力で変えることができるというのは統制の所在が内的にあるということで、「内的統制」(internal locus of control)というそうです。一方、努力などではなく運などによって変わるのだというのは、同様に「外的統制」(external locus of control)というそうです。

■ 認知療法の目的は、人様の価値観を変えることなのか

認知療法では、クヨクヨした悲観的な考え方を改め、統制の所在を外的統制から内的統制に向かわせるようにする、言い換えれば、物事は自分の努力でなんとかなるんだ…というように考え方を改めさせるのだそうです。

大きなお世話です(今日3度目)。例えば、こういう信念を持った人に対しても、心理療法家は認知療法を施すのでしょうか。

「我々は生きているのではない。生かされているのだ。阿弥陀如来のお力によって生かされているのだ」

典型的な浄土真宗の信者の考え方です。自分の人生は「阿弥陀如来のお力」によって左右されているわけであって(外的統制)、個人の努力によってコントロールできるものではない、ということです。

我々が生かされているかどうかはともかく、こういう信仰心を持った人に対して「違うんですよ、あなたの人生はあなたの努力によってコントロールできるんですよ」と価値観を変えさせるというのは、どうでしょう。

何を言いたいのかというと、心理カウンセラーが個人の価値観にまで立ち入るなんて、傲慢ではないかということです。

私は心理学については初心者で詳しくはないのですが(ついでに宗教教義もよく分かりませんが)、素朴に疑問に思いました。私、何か勘違いしていますか?

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[関連記事]

★ なぜあの人たちは無気力なのか−学習性無力感
★ 続・なぜあの人たちは無気力なのか−学習性無力感
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[参考にしたもの]

Hayes, N. (2003). Teach Yourself Psychology. (3rd ed.). Chicago: McGraw-Hill, 61-62.



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コメント

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コメントありがとうございます。
私はこのあたりはさわりしか学んでいないのですが、分かる範囲でお答えします。

セリグマンによると、楽観主義者は、何かに成功(失敗)すると、その原因を内的(外的)なものに求めます。ですから、楽観主義者は何でも自分の力でコントロールしていると考えるわけではないようです。失敗すると、それは自分のせいではなくて、環境や不運、他人がもたらしたものと考えるようです。

この点、私は理解が足りずに書いていました。

なお、セリグマンによる Learned Optimist(「学習性楽観主義者」と訳すのでしょうか)の定義的特徴は、次の通りです。失敗は一時的なものであり(いつまでも続くものではなく)、その失敗の原因はこの一つのケースに限定されており(全てに影響するわけでなく)、失敗は環境や不運、他人がもたらしたものだと考える(自分のせいではない)、というものです。
はじめまして
こんにちは。はじめまして。
勉強不足で難しいことはよくわからないのですが、「価値観」を変えるというところになんとなく共感を覚えたのでコメントさせていただきました。

前向きで、楽観的なのがいいのかというとはたしてそうなのか疑問に思います。
かくいう私は反対の性格で、直そうと努力してみても結局できなかったからです^^;
不安がちで心配性で、極端に物事を考えるし、世の中でうまくバランスをとるのが下手ですが、あきらめではなく、その欠点と思われる部分を認めてそれを長所にしようと磨きをかける努力をすれば、なんとなく心は救われるのかなと思います。

自分のことばかりすみません^^;
また寄らせていただきます。
初めて来ました。

食べ物の例で考えます。
確かに、私達が好き嫌いを強制されるとすれば、それは受け入れがたいことです。私も必死に抵抗します(笑)。
ただし同時に、あまりの自由、偏食に問題があるのも事実です。栄養失調や肥満、致命的な生活習慣病を招きかねません。また、逆に、健康を回復増進するような食べ方もあるのも事実です。だから、怠惰や自暴自棄にでも陥らないかぎり、私達は医学や栄養学に対して注意を払わざるを得ません。

戻って、こういうことは心の問題でも言えるのではないでしょうか。ちなみに私は、アメリカで広く支持される認知行動療法をよく支持する一人であり、かつ仏典を愛読する一人です。
chie さん、コメントありがとうございます。
少し補足説明をします。このあたりのところは私はまだ詳しくないのですが、おそらく認知心理学の教えは、価値観を変えよということではなく、認知の歪みを変えよ、ということではないかと思います。ただ、それは時にその人の価値観に何らかの影響を与えることもあるのではないかな、という疑問を感じています。

「防衛的悲観」という言葉を聞いたことがあります。不安も上手に使えば、成功を収めることができるそうですよ。このあたりは、『ネガティブだからうまくいく』という本が詳しいです。
通りすがりさん、コメントありがとうございます。
私が受けた教育によると、夏目漱石は「腹満腹主義」だったそうです。いつもお腹いっぱいに食べると健康に悪いのですが、夏目漱石はそれを承知で、好きで満腹になるまでご飯を食べ続けたそうです。そのためか、夏目漱石は長生きはできなかったと教わりました。

もっとも、ネットで「腹満腹主義」と検索しても1件もヒットしませんし、もしかしたら私の記憶違いか何かだったのかもしれません。ただ、事実の真偽はともかく、こういう生き方もあっていいのではないかな、と今のところ考えています。
私も、いろいろな生き方があっていいと思います。富重さんと同じです。

ただ、漱石の不摂生ですが、wikipedia の「修善寺の大患」から知ったかぎり、私個人はこういう闘病をしたくありません。更に、漱石は、奥さんや子供に対して無責任でもあるのではないでしょうか。承知で不摂生をして、不要な闘病と介護、不要な早死にと家長の喪失を招くのは、漱石であっても尊敬できません。

富重さんに強制はできませんが、「健康に過ごせるといいですね」と声をかけるのは、余計なお世話でしょうか。
補足です。
認知療法ですが、ブログ主さんには若干の誤解があるように見受けます。
認知療法は、問題の無い価値観には介入しません。失業して落ち込んでいる人にも、別に介入しません。が、落ち込みが度を過ぎて「もうずっと このままだ」「もう自殺する以外に無い」などと思い詰めれば、介入が期待されます。ただし、「あなたはどこにでも就職できる」とそそのかすことはありませんし、1つの仕事も(直接には)斡旋しません。お気付きのとおり、根拠の無い感情=「認知の歪み」を正すだけです。

ちなみに、私の知り合いに気が弱くて悩んでいる男性がいるのですが、私は「空手や柔道をやれ」とけしかけています。世界中の人達の気を弱くして、彼を平均以上にするなんてできないから。事実細く腕っぷしの弱い彼に、認知療法は根拠はくれないから、です。
通りすがりさん、コメントありがとうございます。
分かりました。たまたまこのサイトに通りすがっただけにもかかわらず、いろいろ親切に教えてくださり、ありがとうございました。
他の記事も多少拝読したのですが、「ナンパしろ」のくだりあたり、私も厄介払い相当であるように思い当たります(^^;。
ただ、例えば、「空手や柔道」を足さばき等から学び始めること、あるいは基礎体力が弱ければその鍛錬から手を付けることは、モラルの問題でもあるナンパと同じだとは思いません。

と、他人様のブログでいろいろと書いてしまいましたが、本当にすみません。失礼しました。

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