金持ちからたくさん税金をとるべきか

ひきこもりとは直接関係ない話題ですが、ひきこもりデイケアなどでひきこもり経験者と話していると、「金持ちからもっと税金をとるべきだ」「所得税の累進カーブの傾きをきつくするべきだ」という意見を時々聞きます。

逆の意見は聞いたことがありません。つまり、「累進課税は悪平等」「付加価値を生み出す人から高い税金をとるのはおかしい」という意見ですね。

前者のような意見は低所得者に、後者のような意見は高所得者に支持されやすいです。ひきこもり経験者に前者の説が支持されやすいのであれば、ひきこもりは低所得者層に多いということになります。

もっとも、例外もあります。あるひきこもり経験者は結構な財閥のお坊ちゃんだったのですが、『赤旗』を定期購読していて、累進カーブの傾きを強くするべきだと熱弁をふるっていました。
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■ 公平な税負担とは何ぞや

どういう税負担のあり方が公平なのかということを考えようとすると、欠かせないのが「応能原則」「応益原則」というお話です。

★ 応能原則

これは、納税者の担税力(どれだけ税を支払うことができるか)に応じて税負担を課すのが公平という考え方です。応能原則に従うと、高所得者は高い税金を支払うべきであり、低所得者はあまり支払わなくてもよいという話になります。累進課税が正当化されるのも、このあたりが一つの根拠です。

なお、私が大学の経済学部に在籍していた頃の財政学の講義ノートを見てみると、応能原則は「貧乏人を救うためにある」とメモされていました(私がこう考えていたのではありません、財政学の先生がこうおっしゃっていたのです)。

★ 応益原則

これに対して、応益原則とは、納税者が受けている公共サービスに応じて税負担を課すのが公平という考え方です。つまり、税は公共サービスの対価として支払われるべきだということです。それにしても、納税者が受けた公共サービスとは、正確に測ることなどできるのでしょうか。

この応益原則に基づいた税の極致ともいうべきものが、サッチャーが導入したコミュニティーチャージ、世に言う人頭税です。コミュニティーに属する住民は行政からみな同じサービスを受けているのだから、貧乏人も金持ちもみな同じ税負担にするのが公平だという、驚くべきというか、当然といえば当然というか、そういう考え方に基づいたものです。しかし、納税者の担税力を全く考慮しないコミュニティーチャージには非常に強い反発が起き、導入後数年で廃止されました。

■ 効率と平等は相反するのだ

あるひきこもり経験者が、「累進カーブの傾きをきつくして景気を回復させてほしい」というようなことを言っているのを聞いて、一般の若者の理解というのはこの程度なのかと驚かされたものです。

むしろ、逆に考えるのが普通です。累進カーブの傾きを強くして高所得者に高い税負担を課そうとすると、(1)高所得者(≒仕事ができる人)が、より税負担が軽い国を求めて日本から出て行きます。(2)高所得者(≒仕事ができる人)にとっては、働けば働くほど高い税金をとられるわけですから、仕事に対する意欲を失います。

ですから、経済効率性を高めようとすれば、むしろ累進カーブの傾きを弱くし、ついでに言うと所得税率全体を低く抑える必要があるのです。

法人税についても同じことが言えます。法人税率を高くすれば企業は海外に出て行きますし、海外の企業を誘致する上でも不利になります。ですから、強い経済を作るためには、所得税率と法人税率を低く抑えることが必要です。しかし、そうすると税収が入ってこなくなります。そうしたら、消費税率でも上げようかとか、政府の規模を小さくしようかとかいう話になります。

■ 公平な所得分配とは何ぞや

そもそも、公平な所得分配とは何なのでしょうか。高所得から税をたくさんとって、低所得者に分配するのは本当に公平なのでしょうか。

このあたりの問題を経済学ではどう考えるのだろうかと学生時代は疑問に思っていました。その答えは、財政学兼公共経済学の先生が講義の中で話していらっしゃいました。

経済学で扱う問題ではない。価値判断の問題だと。価値判断の問題ですから、どういう所得分配が正しいかという決定的な答えはないわけです。

■ 個人的には…

私は、政府による所得再分配政策は、ある程度は必要だと思います。世の中には生まれながらに障害(障碍)があったり、個人の自助努力だけではなかなか生きていけない場合もあるからです。

しかし、自分のことで「金持ちから税金をたくさんとるべきだ」と主張するのは、どこかためらいを感じます。これは言い換えれば、「金持ちよ、お前が稼いだ金の一部を俺によこせ」と言っているようなものです。一般に、高所得者は人一倍の努力をしています。他の人のことはともかく、自分が高所得を得ることができないのを努力不足のせいではなく運か何かのせいにして、「金よこせ」と言うのは良心の呵責を感じるのです。

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コメント

(^.^)私はこういう記事が大好きです。
(^-^) ありがとうございます。
興味深く拝見させていただきました
安直に金持ちから貧困者への金の流れを作ることが愚であると良く分かります。空回りのODAにも似て、貧困者を真に助けているとは言えないかもしれません。しかし、と思うのです。世の金持ちは努力の対価で、貧困者は必ずしもそうではない、とのことですが、果たしてそうでしょうか。そうであれたのは随分と昔のことだと思います。貧困が遺伝する現代、多くの場合「努力」して富を築いた者は、そうでない人の苦痛の上に成り立っていることを忘れてはなりません。そして彼らを努力しなかった者呼ばわりすることこそ、私にとっては良心の呵責です。長々すみませんでした。
船長さん、コメントありがとうございます。
私は年収が極めて低いのですが、だからこそ、自分の状況を生まれのせいにはしにくいです。成功している人の陰の努力を軽視し、「あの人はもともと裕福な家の出だから」などと自分を納得させるのも、なかなかできることではありません。
成功している人は、実によく努力しているものだと思っています。かつては、努力して結果を出している人も、そうでない人も年収に大差はありませんでしたが、最近は変わりつつあると認識しています。
水とお金
『水は高い所から低い所へ流れる』 と言いますが、
お金や経済の場合は、どうなのでしょうか。
Qunさん、コメントありがとうございます。
現代日本は貨幣経済ですが、貨幣の機能の一つに交換手段機能があります。古くは物々交換経済だったのですが、物々交換だと色々面倒なので、貨幣を通じて交換しようということになったわけです。
このようにお金は交換の媒体であり、上から下に流れるというよりはむしろ、横から横に流れるものではないかな?と思います。
※累進課税を積極的に肯定しているわけではありません。



はたして、本当に、お金持ちは努力しているのでしょうか?
10倍の収入の人間は10倍の努力をしているのでしょうか?
10000倍の収入には、10000倍の努力が必要でしょうか?

そもそも、努力の量は計れるものですか?
本当に努力と対価が正比例しているわけではないでしょう



10000倍収入を得ている人間は10000倍効率よく(楽して)儲けているだけです。
もっと悪く言えば、10000倍ずる賢いのです。

強いて言えば、その効率よい仕組みをつくるために努力しているのです。


ですので、努力と報酬は比例していません。

※しかしながら、これだけでは累進課税を肯定できません。


それは、このblogの内容(ニートひきこもり)
ひきこもりが何で引きこもりであるのかとか、
暗に記述されていると思います。


takさん、コメントありがとうございます。
>10倍の収入の人間は10倍の努力をしているのでしょうか?
>10000倍の収入には、10000倍の努力が必要でしょうか?

努力と収入の関係が一次関数になるのか二次関数になるのか分かりませんが、一般に努力しないと成果は上がりませんし、成果主義の時代だと、成果が上がらないと収入も増えません。また、収入の高い仕事に就くにはそれなりの資格(学歴含む)を持っていないといけませんが、それなりの資格を得るには努力が必要です。収入は多いけれども、努力はしていない、というのは例外的なケースではないかな?と思います。

>10000倍収入を得ている人間は10000倍効率よく(楽して)儲けているだけです。

努力によって効率を高めるのは大事なことだと私は思います。
付加価値、労働生産性の話題とファイナンスの話題の二面があるかと思います。
生産性はイノベーション(産業革命)により飛躍的に増大します。広い意味でのイノベーションやファイナンスを総合したものが金を産む[システム]で、システムが回り出せば金が金を産むことになります。そのプロセスにからみ分配を受けることを労働と呼ぶとは限りませんので、労働=努力という立場からは受け入れがたいかもしれません。いずれにしろ、日本もグローバル経済も資本主義というシステムを採用しているので、マネー=資本主義とは何かというのは子供のうちからしっかり身に付けないと苦労してしまいますね。
PCDさん、コメントありがとうございます。
収入の源泉は、給与所得だけではなく、有価証券や不動産などの資産所得も見逃せません。ファイナンスという視点は私に欠けていたようです。
日本でも最近、子供に株式投資を教えようという動きが出てきていますが、「お金は、働いて稼ぐもの」という反対意見も根強いですね。
労働者は年金の運用という形で株式(企業)を保有します。
その側面からは労働者=投資家でもあるわけですね。
企業活動そのものも、銀行借り入れや社債発行などの資金調達=ファイナンスの側面が必ずあります。

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