ニート、ひきこもりと自信、自己効力感

先日、たまたまテレビを見ていたところ、『他人を見下す若者たち』という本を書いた速水敏彦名古屋大学教授(教育心理学)が出演していて、「仮想的有能感」がどうこうと語っていました。
仮想的有能感とは、速水氏が唱えた概念で、他人を見下すことで感じる根拠のない有能感のことです。
速水氏は、仮想的有能感は、自信とは違うと話していました。自信というのは、何らかの成功体験に裏打ちされたものであるのに対し、仮想的有能感はそうした根拠がないものだというのです。
私は速水氏の著作はよく読んでおらず、その内容についてここで論評するつもりはありません。ですが、自信は成功体験に裏打ちされたものだというのは分かるような気もします。
■ 自己効力感
心理学の世界では、世に言う「自信」と似た概念に「自己効力感」(self-efficacy)というものがあります。
Wikipedia の「自己効力感」の説明によると、「外界のことがらに対し、自分が何らかの働きかけをすることが可能であるという感覚」を言うそうです(最終アクセス2006年6月8日)。要するに、自分ならできる、という感覚のことでしょうか。
以前お話した「統制の所在」や「学習性無力感」とも深い関係があります。
■ 自信がないニート、ひきこもり
ニートの中には、「今の自分は勝っていると思います」と自信に満ち溢れた若者もいるそうですが、自信のない人もいそうです。
UFJ総研の「若年者のキャリア支援に関する実態調査」(厚労省委託、2003年)によると、無業者(≒ニート)に求職活動を一度もしたことがない理由を複数回答で聞いたところ、「人づきあいなど会社生活をうまくやっていく自信がないから」が33.6%でトップ、同様に求職活動をやめてしまった理由を聞いたところ、「仕事に就いてうまくやっていく自信がなくなったから」が23.2%で第3位となっています。
会社生活をうまくやっていけない、仕事でうまくやっていけないというのは、その人の自信、自己効力感にさぞや深い傷を与えたことでしょう。
こうなると、「自分は何をやってもダメな人間なんだ」と学習性無力感に陥って、何事にもやる気を失い、うつになる人も出てくることでしょう。
ひきこもりの若者にも、自信がない者が多いなどとよく言われます。自信がないからひきこもりになったのか、ひきこもりだから自信をなくしたのか、よく分かりません。
■ とにかく褒めるカウンセラー
こういう人たちには、自信、自己効力感を回復させることだとよく言われます。別の言い方をすると、こういった人たちは統制の所在が外的な方向に偏っているので、内的な方向に持っていくといったところでしょうか。
私などは心理カウンセラーから、ささいなことでも、やたらと大仰に褒められます。私に自信や自己効力感を持ってもらおうという配慮なのでしょうが、私はそんなに自分に自信がなさそうにでも見えるのでしょうか。
私にとって、心理カウンセラーに褒められるほど惨めで、自信や自己効力感を失わせるものはありません。カウンセラーが私のことを褒めるのは、本心から言っているのではなく、あくまで心理療法の一貫であって、私が病んでいるからなのです。褒められれば褒められるほど、「あなたは病んでいるんだよ」と言われているようで、たまりません。
そもそも、私を褒めようにも、私にはろくにいいところがないので、褒めようがありません。「英語の勉強してるんだ、すごいね」なんて褒め言葉になっていません。やって当たり前の勉強を継続しているだけで褒められるなんて、そこまで自分は落ちたのかと屈辱的な気分になり、かえって自信を失います。
■ 自信がないのは当然
冒頭で、自信というのは、何らかの成功体験に裏打ちされたものだというお話をしました。ということは、成功体験がろくになく、挫折ばかりの人生を歩んできたような人は、自信や自己効力感が持てない、持てなくて当然ということになります。
こういう人に、いくら心理カウンセラーが口先だけの褒め言葉を並べたり、小さな成功体験ができるようお膳立てしたところで、意味はないのではないだろうか、場合によっては逆効果にさえなるのではないだろうかと私などは考えてしまいます。
こうした人たちは、本当にどうしようもないのです。何をしてもダメなんですから。何かに挑戦しようとすればするほど、失敗を繰り返して自信を失い、褒められれば褒められるほど惨めな気持ちになるだけでしょう。
■ 成功体験に裏打ちされない自信もあるのか
しかし、「自信は無根拠に持つべき」と主張する人もいます。
本当は、自信は無根拠に持つべきものです。無根拠であるほど、それは強い。『私は世界一私自信である。私以上に私をきわめたものはいない』そういう自信もアリです。というか、本当はそういう自信でいいのだと私は思います。
斉藤環『「ひきこもり」救出マニュアル』PHP研究所、2003年5月、446ページ。
そんな自信、どうやって持てばいいのでしょうか?誰かから無条件で承認されること?そんなの無理です。
心理学勉強中の富氏でした。
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[参考にしたもの(既出のものは除く)]
★ Hayes, N. (2003). Teach yourself psychology. (3rd ed.). Chicago: McGraw-Hill
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- スケジュールいっぱいの手帳
- 医者とチェロのレッスンくらいしか用事が無く、予定はスカスカ。今はどうだろう?休みは週二日、そこに前述の医者とチェロ。相変わらず、スカスカだ。わざわざ”バイト”と書く
コメント
- 褒めることとが自信につながるか
- こんばんは,富氏(さん?).今日はこちらにお邪魔しました.
富氏さんの「英語の勉強」ですが,私は偉いなと思います.お前もかぁ〜って怒らないでください.なぜなら私は英語恐怖症状態で,勉強なんてできないんです.英語の曲や映画の台詞を聞き流すことはできます.でも音・音楽として認識していて,言語・コミュニケーションをはぐくむために思考すると拒絶反応がでます.だから富氏さんが羨ましい.
で,カウンセラーに褒められて落ち込むっていうことは,富氏さんの中で「英語学習の価値」のハードルが低く設定されているからだと思うんです.確かに,英語ができる人なんて現代じゃ山のようにいます.でも私みたいにできない人も沢山いると思います.結局,ピンからキリまでランクがあるなかで,富氏さんはご自分が上位の人だけでなくその他大勢も含め,自分は劣っていると決め付けている.でも実際は,富氏さんより未熟な人だって沢山いるんです(はたけは英検無級だい).
この上位の人に対する劣等感は次へステップアップするやる気につながるものだから,悪いことではないでしょう.でも富氏さんが不愉快だったのは,カウンセラーの人がありきたりな話術で褒めたこと.悪い言い方ですが,犬のしつけをするときに,よくできたわね〜って餌あげながら大げさに褒めている,あれと光景が同じように感じられませんか?
カウンセリングの常套手段が相手を褒めること,というのは,うつ病ニートのはたけにも覚えがあります.なんでこの人は病人を前に,こんなにカラ元気なんだ,と違和感すらありました.ただ,この常套手段の褒めることにも,自信につなげる褒め方ってあると思うんですよね.
本人にとって自慢できることでもないこと,ここでは英語の勉強にしましょうか,カウンセラーの人はまず,この話を本人から引き出さねばなりませんよね.次に些細なことであろうと,それを褒める.ここで大げさな相槌とかNG.だって本人は自信ないんですものね.それを察してカウンセラーは,「今どんな段階なの?」「将来英語をどう役立てたい?」など話題を膨らめて,本人に自分のしている勉強の将来像を考えさせる.そしてこの勉強から,将来の自分に対する具体的な目標につながり,劣等感よりは向上心が芽生えるようになる...と,かってにはたけが妄想しましたが,富氏さんだったらどんなカウンセリングします?
- はたけさん、コメントありがとうございます。
- 英語に限らず、何かを勉強しているということ自体は、それほど価値があることとは私には思えません。勉強なんて、やって当然のことです。生まれて以来、ろくに勉強をせずに就職に成功し、その後も何の勉強をしないけれども社会人として通用している人という人が果たしてどれほどいるのでしょうか。
心理カウンセラーの本音もそうではないでしょうか。心理カウンセラーは高度に専門的な職業で、その職にある人は、高度なスキルを維持・向上させるために常に自己研鑽を欠かさないと聞いています。特に、臨床心理士の場合、資格認定協会によって研修が義務付けられている上、5年ごとに資格の更新があるために勉強を怠ると資格を失います。つまり、カウンセラーにとって、勉強なんてやって当たり前なんです。そういう人たちが「富氏さん、勉強してるんだ。偉いね」と、私が勉強していること自体を褒めるのは、果たして本心からでしょうか。私などは、こういう褒め方をされると、私はカウンセラーに見下されているのではないかなどと、屈辱的な気分を感じることがあります。
>ただ,この常套手段の褒めることにも,自信につなげる褒め方ってあると思うんですよね.
これは、同感です。
それから、失礼ですが、はたけさんは私のことを誤解していらっしゃいます。私の英語は、「下手の横好き」です。「なぜあの人たちは無気力なのか−学習性無力感」でお話しましたが、私は英語は多少は勉強していますが、英語が得意というわけではないのです。
>本人にとって自慢できることでもないこと,ここでは英語の勉強にしましょうか,カウンセラーの人はまず,この話を本人から引き出さねばなりませんよね
>「今どんな段階なの?」「将来英語をどう役立てたい?」など話題を膨らめて,本人に自分のしている勉強の将来像を考えさせる.
私はカウンセラーからではないのですが、ひきこもり仲間からそのようなカウンセリング(もどき)を受けたことが何度かあります。しかし、結局は「どんなに勉強しても英語力が伸びない」「今まで何年間もやってきたことは何だったんだろう」「英語は不向きだから、将来役立てられそうもない」という暗い方向に話が進んでしまい、結局は向上心どころか劣等感をなおさら強くする結果に終わってしまいました。
>富氏さんだったらどんなカウンセリングします?
このように、カウンセリングは全ての人に有効ではないと私は考えます。カウセリングが有効なのは、潜在力のあるクライアントだけだと思います。その何よりの証拠が、何年カウンセラーにお世話になっても、いつまでたってもひきこもり状態から抜け出せない、この私です。潜在力のあるクライアントに対しては、はたけさんのような方法でカウンセリングをすればよいのだろうと思います。
- な,なるほど・・・
- 富氏さん,熱のこもった回答ありがとうございます.
それに,誤解しててすみません.
カウンセリングを受けて,マイナス思考(自分の英語は将来役に立たないとか...)に向かっていくことがあるんですね...
う〜ん,この回答を見ても分かるように,富氏さんのように芯の通った意見を持ち,論理展開も的確にできる方が,なぜ社会に出て活躍されていないのか不思議なくらいです.もちろんこのブログという形で力量を発揮なさってるとは思いますが.
なぜ,引きこもり状態から抜け出せないのか...潜在力がない人は,カウンセリングが無効ならば,なにが有効な手段なのか...これは富氏さんの専門ですね...
ちなみに私の専門ネタを当てはめますと,若年層の引きこもりの中には,統合失調症などの精神疾患が影響していると危惧されています(富氏さんが,そうだと言ってる訳ではありません).その可能性がある場合は,お医者さんにお世話になるわけです. 時間はかかりますが治療で価値観ですら随分変るといいます(なお,うちの母が統合失調症なので,これはほぼ体験談です.もう母子で精神疾患なので,残る父のメンタル面が心配です...).
と,横道にそれたところで,退場いたします.ではでは.
- お返事ありがとうございます。
- 少し補足をいたします。私は心理学は初学者でよく分からないのですが、そもそもカウセリングは、クライアントに潜在力があることを前提にして、その潜在力を引き出すことが目的なのでしょう。ということは、潜在力がない人がもしいれば、そういう人にいくらカウンセリングを施しても何も引き出すことができないということになります。
潜在力がない人は、はっきりいって救いようがありません。宗教を信じて、来世の幸福を願うぐらいしか道はないのではないでしょうか。しかし、心理療法家は、治療のためにはその人の潜在力を信じる以外はないのでしょう。
>時間はかかりますが治療で価値観ですら随分変るといいます
ご専門のはたけさんには申し訳ないですが、私は医師に価値観を変えさせられるのは抵抗を感じています。私は医療のことはよく分かりませんが、その人の価値観というのはその人の尊厳に関わることであって、他人が強引に変えるというのは倫理上いかがなものかと素朴に疑問に感じています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
- う〜ん、私は専門家ではありませんが、
’本当は、自信は無根拠に持つべきものです。無根拠であるほど、それは強い。『私は世界一私自信である。私以上に私をきわめたものはいない』そういう自信もアリです。というか、本当はそういう自信でいいのだと私は思います。 ’
と言うのはすごく分る気がします。私は客観的に見るとブスの部類なんですけど、若い時にきれいな人が沢山いるところでこの人達と入れ替われるならどの人がいいかなあ、と真剣に考えたことがあります。何日も何人も観察しましたが、結果的に入れ替わりたい人が一人もいませんでした。
結局、自分以外になりたくないんです。
特に得意なことも、秀でたところも、すごく成功したこともありませんが、自分がすきって言う気持ちが根底にあります。もちろん、落ち込んだり、自己嫌悪に陥ったりすることもいっぱいあります。でも最後になんか根拠のない自信があるんです。これがなかったらきっと今まで生きてこれなかったかも。
ただこの根拠のない自身がどこから来るのかと言われると、私も分りません。しいていえば、どちらかと言うと自分に甘く、悪い出来事よりもいい出来事を覚えていることでしょうか。
- hattoriさん、コメントありがとうございます。
- 私などは hattori さんとは正反対なタイプで、無根拠に自分に自信が持てないものですから、妙なものです。自分のことが大嫌いで、自分を変えたい、例えば○○さんのようになりたいと真剣に考え、そのように行動してきました。それが私の人生といっても過言ではありません。
私のようなものでも、個別の事柄については自信を持っていることもたまにあります。何らかの能力が平均的な人よりも優れていること場合、こうしたことが起ります。しかし、これは無根拠な自信とは違います。自信というのは、なかなか奥が深そうです。
- ごめんなさい、言い方が悪くて
- 言いたいことが上手く言えません。
上で言いたかったことは、
「誰でもコンプレックスとか自分が嫌いなとことかあるけど、まあいいかって許すことじゃないか」
ということです。
私も人付き合い得意なほうではないですけど、まあいいかと思っています。周りにあまり活発で明るい人ばかりだと疲れますよね。私自身、あまりうるさい人より、静かな人のほうが好きなので、自分で私は癒し系だ、と納得しています。内向的な性格も、よく見れば物静かで落ち着いた人になるわけで、結局見方によると思います。
こんな風に見れないんだから仕方ない、と思うでしょうが、これも日々の練習でかなり変わると思います。
例えば、小さなことから始めて日記に絶対悪いこと書かない日記とか作るって言うのはどうですか?想像力をいっぱい使っていい解釈をつけるんですよ。
こんな人の為になるウェッブを作る方なんですものもっと自分を高く評価してもいいと思いますよ。
- 追加
- もう一回読んでみて…
>そんな自信、どうやって持てばいいのでしょうか?誰かから無条件>で承認されること?
これですが、「誰からか」じゃなくて「自分自身を無条件に承認すること」じゃないでしょうか。
わたしも精神分析やったことがありますが、「子供時代にああだったから、親に無条件に受け入れてもらいたい」とか結構無理がありますよね?いまさら親に受け入れてくれー」と駄々をこねるわけにもいかないし。
すっぱり忘れて受け入れるほうにまわったほうがはやいかも。親を許すとか、犬を飼って無条件に愛するとか。
私は落ち込んだときは人助けをします。お金を貰う訳じゃないので期待もかけられないので気分が楽です。ちょっと勝手な自己満足が得られます。自分のセラピーためだと思ってやっているので感謝されなくても傷つきません。
ん〜、また外れてきたのでこの辺でやめます。
- しつこい!ですが…追加
- 大体親に無条件で受け入れられるものでしょうか?
私は親には条件付で受け入れられると思います。
私の例で見ると、子供たちがやっとオムツが取れたかと思うと、次は自分で着替えができる様に、それからやれ数を数えろ、字を覚えろ…。果てしない要求が続くわけです。親が忙しいときに駄々をこねると腹が立つし、全く言うことを聞かない子供だと親も疲れますよね。兄弟でも違いますし、ちょっと何か発達が遅いと「この子はおかしいんじゃないか」と心配します。親だからって「なんでもOKよ」なんていってられるのでしょうか?
結局は子供だって、「がんばらないと人に受け容れられない」ってことを親から教わるんじゃないかしら。
- hattoriさん、コメントありがとうございます。
- >私も人付き合い得意なほうではないですけど、まあいいかと思っています。周りにあまり活発で明るい人ばかりだと疲れますよね。
それは私も考えることがあります。ただ、それなら自信を持たない自分を肯定したっていいじゃないか、と考えもたくもなります。
>これですが、「誰からか」じゃなくて「自分自身を無条件に承認すること」じゃないでしょうか。
>「子供時代にああだったから、親に無条件に受け入れてもらいたい」とか結構無理がありますよね?
なるほど、考えさせられます。私は精神分析は詳しくないのですが、過去のことは今更どうしようもありませんし、親のことを考えても仕方がないように思えます。
>大体親に無条件で受け入れられるものでしょうか?
私は精神分析は詳しくないのですが、興味深い見方だと思いました。条件付きどころか、親にほとんど受け入れられないまま育った人たちも少なからずいると思います。



