「働かざるもの食うべからず」は新約聖書が由来だった

「働かざる者食うべからず」

という、誰もが一度は聞いたことがあるであろうこのフレーズ。

もとはレーニンの言葉だという話を私は耳にしました。びっくり!レーニンというと、ロシア革命を起こした共産主義の、今でも遺体が永久保存されている(TVで見た覚えがある)、あの人のことですよね?保守派が好んで使う「働かざる者食うべからず」って、共産主義の考え方だったのでしょうか。

気になった私は、インターネットで調べてみました。松原俊氏のlivedoorニュースの記事「『働かざる者食うべからずの真実』」によると、これはレーニンが伝道者パウロの言葉を引用して言った言葉なのだそうです。つまり、おおもとはキリスト教です。

http://news.livedoor.com/
webapp/journal/cid__1904824/detail


それにしても、なぜレーニンがパウロの言葉を引用したのでしょうか?共産主義者にとって、宗教はアヘンなのでは?いや、よく分からないけど。

それはさておき、パウロはいったいどういう文脈で「働かざる者食うべからず」(後述するように、厳密には少し違う言い方です)なんて言ったのでしょうか。私はクリスチャンではないのですが、気になるので見てみます。 * * * * * * * * * *

■ 新約聖書を読む

「働かざる者食うべからず」に該当する言葉は、新約聖書の「テサロニケ人(びと)への第2の手紙」に登場します。

兄弟たちよ。主イエス・キリストの名によってあなたがたに命じる。怠惰な生活をして、わたしたちから受けた言い伝えに従わないすべての兄弟たちから、遠ざかりなさい。わたしたちに、どうならうべきであるかは、あなたがた自身が知っているはずである。あなたがたの所にいた時には、わたしたちは怠惰な生活をしなかったし、人からパンをもらって食べることもしなかった。それどころか、あなたがたのだれにも負担をかけまいと、日夜、労苦し努力して働き続けた。それは、わたしたちにその権利がないからではなく、ただわたしたちにあなたがたが見習うように、身をもって模範を示したのである。また、あなたがたの所にいた時に、「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」と命じておいた。

「新約聖書」325-326ページ、『聖書』日本聖書協会、1971年。太字は富氏による。まだ続きがあるのですが、長くなるので略します。

■ 「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」

怠惰で、働かない者を戒める教えのようです。

「働かざる者食うべからず」ではなく、「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」になってますね。なんだか微妙に意味合いが違います。

「怠惰な生活をして、わたしたちから受けた言い伝えに従わないすべての兄弟たちから、遠ざかりなさい」というのは、怠惰な生活をする者とは交際するなということです。そうすれば、「彼が自ら恥じるようになる」(上述書326ページ)とのこと。現代でも、息子がニートになったので親子の縁を切ったとか、友人がニートになったので袂を分かったという話をときどき耳にします。まあ、こんなこと聖書に言われなくても、働かない人間とは、たとえ息子や娘であっても関わり合いになりたくないというのが普通の感覚なのかもしれません。

■ 働きたくても働けない人の立場は…?

では、働きたくても働けない人、例えば不況で仕事が見つからない人たちとか、病気や障害(障碍)があるために社会参加できないといった人たちは、どうなのでしょうか。こういった人たちも、パウロが言う「怠惰な生活をして、わたしたちから受けた言い伝えに従わないすべての兄弟たち」に該当するのでしょうか。

そういった人たちについては、パウロは明確に説明してはいません。解釈次第ということになるのでしょうか。

■ 働きたくても働けない人も、パウロに言わせれば怠け者!

私は新約聖書の解釈についてはよく分かりませんが、この文章を読む限り、パウロは、上記のような理由で働けない人も怠け者と見ているのではないかと思うのです。

もしそうでなかったとしたら、「ただし、病で働けない人たちは別ですよ」などと但し書きのようなものを入れるはずです。但し書きも入れずに「怠惰な生活をして、わたしたちから受けた言い伝えに従わないすべての兄弟たち」と言っているのですから。

仕事がないから働けないというのはパウロに言わせれば怠け者の言い訳で、現代風に言えば、だったら起業しろとか、リストラされて職を失ったのはお前が会社で怠けていただろうとかいうことになるのではないかと思います。

病気や障害で働けないというのも、パウロに言わせれば怠け者の言い訳で、お前が治そうとする努力が足りないからだろうということになるのではないかと思います。

こんなことを言うと、「そんな解釈あるか!アホらしい」という声がどこからか聞こえてきそうです。ですが、先にもお話した通り、もしパウロがこういった人たちを怠け者ではないと考えていたのであれば、但し書きを書いたはずです。それがないのですから。自分に都合のいい解釈はやめて、自然に解釈しようとすればこうなると思うのですが、新約聖書にお詳しい方々、いかがでしょうか。

■ 新約聖書にこだわる必要もない

最後に、クリスチャンでない限り、現代で言う「働かざる者食うべからず」の意味を原典の新約聖書に求める必要も、それほどないようには思います。だったら今日の記事は何のために書いたんだ!などと言われてしまいそうですが…。

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この記事へのコメント

何か日本語変ですね…すみません。 - 檻神熾綺 - 2006年06月13日 18:56:31

いや、そもそも病気や障害を持ってる人達は決して“怠惰”で働かない訳ではないでしょう。
辞書で“怠惰”を引けば以下の様な説明があります。

[名・形動]なまけてだらしないこと。また、そのさま。「―な人」

病気持ちの人に『だらしない』とか『怠けてる』とか言ったら怒られますよ。
この文面からはあくまで“怠惰な人”を指している訳で…
勿論、病気の方達は怠惰ではありませんので、これには該当しないのでは?

コメントありがとう。 - 富氏 - 2006年06月13日 19:38:00

病気や障害(障碍)を理由に働かない人たちを怠惰と見るべきかどうかは、議論が分かれるところだと思う。
檻神熾綺君のように怠惰ではないと考える人もいるだろうけど、中には病気や障害を言い訳にしているだらしがない人としか見ない人もいると思う。実際に、後者のような考え方をする人を知っているので。かかっている病気によっては、自己管理が甘いからそんな病気になるんだと責められことがあるよ。

私の解釈なんですが - 元クリ - 2006年06月13日 23:30:47

初めてコメントさせて頂きます。
いつも、色々考えさせながら読ませて頂いています。

世間一般で言われるところのクリスチャンを辞めてしまった者です。
けれど、キリストが本当は何を伝えたかったのか?にとても興味があります。

・・・パウロの記事に興味を持ちました。個人的見解をコメントさせて下さいね。

これは、テサロニケの信者の人々に宛てて書かれた手紙ですよね。
だから、このテサロニケのコミュニティーがどんな状態だったかを
読み取る必要があるように思います。
そして、〝働きたくない者〟とはどんな人だったかを見なければならないと思うのです。
引用されたのはⅡテサロニケ3:6~10ですが、その後の11には
「ところが、あなたがたの中には、何も仕事をせず、おせっかいばかりをして、しまりの無い歩み方をしている人たちがあると聞いています。」
パウロが怠惰な生活と指摘したのは、
これに関連した記事でⅠテモテ5:13「そのうえ、怠けて、家々を遊び歩くことを覚え、ただ怠けるだけでなく、うわさ話やおせっかいをして、話してはいけないことまで話します。」と記された〝うわさ話やおせっかいをして、家々を回っている人達〟ではないか思います。

パウロの真意は、Ⅰテサロニケの5:14~18
「兄弟たち。あなたがたに勧告します。気ままな者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に寛容でありなさい。
だれも悪をもって悪に報いないように気を付け、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行うよう務めなさい。
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって
神があなたがたに望んでおられることです。」

今の日本の現状で、ニートやひきこもりの若い人たちをパウロが見たとするならば、その背景にも目を留め「小心な者を励まし、弱いものを助け・・・、」と言うんではないかと思います。

元クリさん、ご教示ありがとうございます。 - 富氏 - 2006年06月14日 04:32:28

私はこの記事を書いていたとき、6~11はテサロニケ人だけではない一般論を述べたもので、11~15あたりまではそれをテサロニケ人に適用(という言い方でいいのでしょうか)したものだと解釈しました。

ですが、元クリさんのご指摘を受けてよく考えてみると、私の解釈はどうも間違いだったのではないかと思えてきました。元クリさんがおっしゃる通り、テサロニケのコミュニティーがどんな状態だったかを読み取り、〝働きたくない者〟の意味を考えるべきだったと思います。ご指摘ありがとうございました。拙速に記事を書いてしまったと反省しております。

>今の日本の現状で、ニートやひきこもりの若い人たちをパウロが見たとするならば、その背景にも目を留め「小心な者を励まし、弱いものを助け・・・、」と言うんではないかと思います。

ニートやひきこもりについては、単なる怠けや甘えとする見方とそうでないとする見方に分かれていますが、どちらが正しいかは本当に難しいところです。しかし、世の中の多くの人は前者の説をとっていますから、パウロも同様に「気ままな者を戒め」「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」「そのような人には注意をして、交際しないがよい」と言うのではないかと私などは考えてしまいます。パウロの思想については、私は詳しくは知らないのですが。

お返事ありがとうございます - 元クリ - 2006年06月14日 10:41:38

ご教示なんてとんでもないです。あと、反省なんかもとんでもありません!
こちらこそ、ご丁寧なお返事に恐縮していますm(_)m

昨夜、コメントの送信をクリックした後に、「しまった!」と思いました。
私の書いた、
>今の日本の現状で、ニートやひきこもりの若い人たちをパウロが見たとするならば・・・
の件ですが、
「小心な者を励まし、弱いものを助け・・・、」と【その人を囲む周囲の人間に】言うんではないかと思います。
を抜かしてしまった・・・。と思ったのです(些細なことですが)。

富氏さんの書いてくださった、
>ニートやひきこもりについては、単なる怠けや甘えとする見方とそうでないとする見方に分かれていますが、
ですが、私は、後者の見解です。

その理由として、すべてがすべてとは言いませんが、
ニートやひきこもりの中に、アダルトチルドレンの背景を持つ方々が
かなりの割合で占めているんではないかと思うからです。

意欲も独自性もすべて破壊される環境の中で生きることを学んだACの人たちの無気力は、がむしゃらに頑張れる人たちには理解することができないでしょう。
ニート、ひきこもり、鬱・・・は、枝葉の問題であって、根本的なAC(またはそれを引き起こす原因となるもの)から回復させてあげないと、対処療法ではもうどうしようもないところまで来ているんだと感じます。

- スギタ コトオ - 2006年06月14日 18:29:41

はじめてお便りします。
ニート引きこもりこと最近よく考えてました。この記事のバウロはよくわかりませんが、過去の記事でカウンラーの方のこと書かれてたのでお便りしました。、うなずくことが多く参考にさせていただきました。

元クリさん、コメントありがとうございます。 - 富氏 - 2006年06月15日 13:08:26

私は自分自身がニートであり、ひきこもりなので、どこかで自分に言い訳をしてはいけない、甘えてはいけないと考えてしまうところがあります。

とはいえ、ニートやひきこもりと一口にいっても、いろんな人がいるでしょう。ACが原因の人もいますし、それ以外のことが原因の人もいます。私が実際に知っているひきこもりやニートの若者たちには、甘えとは言えない人たちが多いように思います。ただ、世間の見方は違うはずです。

スギタ コトオさん、はじめまして。 - 富氏 - 2006年06月15日 13:09:32

このブログは、心理学の初学者が素朴に疑問に思ったことを書いているまでです。ですが、ご参考になったのであれば嬉しいです。

- ジョンスミス - 2007年11月20日 16:01:38

失業してる人矢不況などで仕事が見つからない人でも怠惰でなければ熱心に就職活動してる訳ですしね。

ジョンスミスさん、コメントありがとうございます。 - 富重 - 2007年11月20日 23:16:18

議論が分かれそうなのは、労働経済学で言うところのディスカレッジド・ワーカーや縁辺労働力、つまり適当な仕事がないために求職活動を諦めた人たちです。仕事がないのに求職活動をするのは合理的な行動ではありません。それから、心理学で言う学習性無力感による求職活動の断念も、議論が分かれそうです。何度も失敗を続けると無力感を学習してしまい、ついには自分は何をやっても無駄なんだと考え、最初から諦めてしまう傾向が人間にはあるそうです。あと、ニート、ひきこもり問題の背景因子として指摘されている社会不安障害も、同様だと思います。

しかし、「テサロニケ人への第2の手紙」は、上記のものも全て怠惰に含めていると私は解釈しています。

このテーマについて - 7し - 2009年08月02日 01:49:40

私も病気や怪我等で理由があって「働けない」人を責めたりしません。五体満足
で生まれて来ておきながら勝手に理由を付けて「働かない」人達は怠惰だと思っているので私は上記の理由から「ニート」は人間のクズだと思っています。

コメントありがとうございます。 - 富重 - 2009年08月02日 18:11:42

御説承りました。ただ、ニートの定義に、「病気、怪我の者は除く」という但し書きのようなものは、なかったものと私は承知しています。
病気の人と健康な人は必ずしも明確に二分できるものではないのではないかと私は考えています。
ニートと呼ばれる人には、病気、障害を持った人やその中間的な位置にいる人が少なくない(少なくなさそうだ)ということを示す調査結果・報告がいくつもあります。私の実感でもそうです。

amen - Jesus - 2009年10月22日 04:36:21

クリスチャンの見解を書きたいと思います。

優しい心を持って接し共感すること。仕事をしてないことを責めないこと。

私たちChristianが大切にしてる聖書の言葉は「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」(マタイ22:39)です(リビングバイブル)

テサロニケⅡの背景はキリストが再びこない偽情報におどらされてぶらぶらしてる兄弟を戒めているだけです。働かないから天国にいけないわけではありません。

もし、自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら救われるからです。(リビングバイブル)

***********
十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには神の力です。
(新改訳聖書)

あなたは天国に行きたいですか

死亡率100パーセントの人生で仕事で得られることはなんでしょうか。

Jesusさん、コメントありがとうございます。 - 富重 - 2009年10月22日 16:28:15

なるほど、分かりやすいです。
ご説明、ありがとうございました。

- とーます - 2009年10月23日 23:28:50

「そんな解釈があるか!!アホらしい!」

私も全く同じことを思っています

- - 2011年01月04日 17:25:34

>但し書きがあるはずです
それは日本人的発想
聖書的発想ではない

- 富重 - 2011年01月05日 06:21:32

コメント、ありがとうございます。

-   - 2011年06月01日 19:06:23

>但し書きがあるはずです
???

そう言い切れる根拠は?

意味わかんねえよw

人には色々あるけれど - K/C - 2011年09月04日 11:13:03

私は両親を4歳の時に一気に無くし、里親宅をたらい回しにされ、その後は養護施設で育ちました。私は孤児です。
高校は家政婦をしながら行きました。大学は自分でお金を貯めてアメリカまで行きました。日本では親がいないので就職も結婚も大変でした。保証人を捜すのが大変だったのです。だから仕事はいつも外資で、結婚は何もない人としました。夫はとても貧乏な家の人です。でも頑張って博士号まで取って、今は大学教授をしています。今も余分なお金はありません。でも私たちは幸せです。身分相応に生活し、手を休める事をしなかったからかもしれません。

私は体も丈夫ではありません。でも働いてきました。子供も4人育てています。
実は私も引きこもりをしたいと思ったことあります。誰でも一度はあると思います。ただ私には働かないなどという優雅な選択はありませんでした。引きこもる人の気持ちもわかります。でも言える事は、彼らはその選択の余地がある人達だと思います。普通は生きて行く為に、働かないなんて許されない状況にある人がが殆どなのでは。ほんとは引きこもりの人が羨ましいです。
といっても、それをする気にはなれません。私は思うのです。社会でどんな小さな存在でもいいから、一生懸命生きることが大切で、それが人間の人格を築く基となる様に感じるからです。怠けていても成長はないと思います。いい事もないと思います。でも何かしら働いていれば、大変でも人間としてどこかしら成長出来ると思います。自分自身を誇りにも思えると思います。私の知り合いで、脳に問題があったり、目が見えなかったり、腕が普通の人より短かい人がいます。みなニコニコして一生懸命自分の出来る事を頑張っています。それでいいのだと思います。そしてそういう風に生きている人は、例えお金持ちになれなくとも、小さなアパートに暮らしていようとも、立派な人だと思います。

貧しい国の人は、引きこもりになり悲しんでる暇はありません。生きる事で精一杯で、余計な事を考えている暇がないからです。
自分の事を自慢するわけではありませんが、私も生きるだけで精一杯で、過去や現状を嘆いている暇がありませんでした。
忙しくしている事はいい事だと思います。だから、大人の引きこもりはある意味で、「贅沢病」かもしれません。(失礼ですみません)
これを読まれている引きこもりのかた。
頑張って。少しずつでいいから。立ち直ってください。毎日一歩進めばいいのです。
私には励ましてくれる人も、助けてくれる人があまりいませんでした。泣きながら、自分で自分を励ますしかなかったのです。所詮人はみな同じ様な道を歩むようです。みな大変なのです。だから、悩んでいてもどうにもなりません。勇気の解決策はだた一つ、「行動」しかありません。勇気がないから行動できない。という人が多くいます。とても良くわかります。でも本当は、「行動しないから、勇気が出てこない」のです。真っ正面からぶつかるしか解決策はないと思います。

だれからどのように見られているとか考えるときりがありません。そんな事より、自分が自分自身をどう見ているかの方が大切だと思います。働いていない自分がいやなら、働けばいいのです。それだけのことです。幸せに引きこもっているならいいけで、落ち込んでいるなら、自分のしている事が嫌だと思っている立派な証明だと思います。引きこもり状態が苦しく嫌なのは、社会が、周りがそう思わせているのではなく、自分自身の良心がその人に語りかけているのではないでしょうか。

働く事は人格形成に大きな影響を及ぼすと思います。だから「働かざるべき者、食うべからず」というのは、「食うな」という直接的な意味以外に、「働かない人生は、(食べて生きて行くにたりる)人生ではなく、価値のない人生」とも取れるかもしれません。また働く事とは、外に出てお金を稼ぐ以上のもので、何でもいいから、家庭や社会の一員として役に立つ様に生きることでもあると思うのです。
ちょっと話が前後してむちゃくちゃで読みずらくて済みません。

K/Cさん、コメントありがとうございます。 - 富重 - 2011年09月05日 09:34:41

お心のこもったコメントありがとうございます。K/Cさんの善意がよく伝わってきました。ありがたく拝読しました。

ひきこもりの人に対し、K/Cさんのように叱咤激励をされる方は少なくないだろうと思います。障害(障碍)を持った方の話が出てきましたが、ひきこもりの人に『五体不満足』を読ませる親御さんが多いという話を本で読んだことがあります。

ただ、申し上げにくいのですが、一般に、ひきこもりの人に対してこうした話をするのは逆効果になることが多いと考えられています。このことは、Yahoo!Japan などで「ひきこもり 叱咤激励」と検索していただくと分かりやすいと思います。例えば最近、『ひきこもり支援者読本』というものが内閣府ウェブサイトで公開されましたが、この中でも斉藤環氏(精神科医)が、「慢性化したひきこもり状態に対する説得・議論・叱咤激励は、有害無益なものでしかない」(8ページ)と述べています。

ひきこもりの問題は意外に理解が難しいです。ひきこもりの人に対する接し方にしても、正しい働き方をとれずに、かえって問題をこじらせてしまいがちです。私自身も、過去にひきこもりの人によく助言をした時期があるのですが、これも今では誤りだったかもしれないと反省しています。

それはわかるんですけど - K/C - 2011年09月06日 00:56:56

それは存じ上げております。でも国のマニュアルに従ってどの位の成功率が上がっているのでしょうか?人はみな違うので、一つの方法が全ての人に効くとは言い切れないと思います。

引きこもりの方は、引きこもっている事に理由をくっつけて正当化しようとしたり、難しい話をこねくりまわして肯定したいなら別にいいんじゃないでしょうか?好きな様にすれば。当人同士で、傷口をなめ合うことも最初は大切ですが、それがずっと続くと、立ち直れないと思います。

又、周りの人が、痛い腫れ物に触る様に接するのはいけない様に思います。「病人だから」というのもちょっと。誰だって、100パーセント、マトモな人はいないのですから。みなそんなに違うとは思いません。

励ましても駄目なら、周りの人は何もできないですよね。自分で強くなってもらうのを待つしか。でも大人で「こうなったのは親のせい」とか「社会のせい」とか、たとえそれが合っていたとしても、そんな事言う事くらい恥ずかしい事はないと思います。自分の事は全部自分のせいです。

大体が、人類が始まって以来、完全で苦しみのない世の中、即ちユートピアなど、一度として存在などしなかったのです。現代は、太平洋戦争の時や、戦国時代に比べれば、よっぽどマシだと思います。何処の世界も時代も不完全で、そんな世の中で、自分なりに幸福に生きて行く事が私たちに課せられたチャレンジなのだと思います。そういう点では、人生のチャレンジとは誰にとっても同じと言えます。
それから頑張っている人には、どこからか助けの手が差し伸べられると思います。高望みしなければの話ですが。

考えてみると、日本は世界から見ればただの小さい島で、その小さい島の中の小さな日本家屋の中の、これまたもっと小さい個室に何年も引きこもれり、宇宙から見たら全く見えない様な存在の点にもならない人間が、ごちゃごちゃと小さい事で悩んでいるんですから、スケールの小さい話です。引きこもれば引きこもる程、精神がおかしくなって疑問ではありません。丁度精神病の人が、精神病院に隔離されるともっとキチガイになるのと同じです。

仕事がないとか言うけど、何でもいいならあると思いますけど。私は孤児だから、銀行証券会社は全部駄目と言われました。だからといって、日本の社会を呪ったりはしませんでしたよ。そこが駄目なら、他に行けばいいだけの事で、雇ってくれる所を探しました。収入が足らなければ、夕方、他のアルバイトをしたりして補充しました。
それは私が精神が強かったから?違います。強いわけありません。怖くてでも勇気を振るい起こして行動したのです。その理由は他でもなく、養ってくれる人がいなかったからです。働かなくては、食べるものも住む所もありません。贅沢は言わないで、どんな仕事でもしました。飢え死にしたくなかったからです。死にたいと思った事もあります。でもしませんでした。私の親は長生きしたかったと思います。でも出来ませんでした。その顔も覚えていない親の分も頑張って生きて行く事を決心したのです。

私は引きこもりの人が、立ち直れないのは、自分の事ばかり考えていて、その自分の小さな悩みに全身埋もれて、悩んでいる自分自身を悩み続けているからだと思います。自己陶酔の世界です。世界中には日本の引きこもりの人よりも大変な思いをして生きている人が五万といるのに。

私は、周りの人達は十分、引きこもりの人達に優しくしてあげていると思います。それでも駄目なら、精神がいつまでも子供のままだからかもしれません。そりゃ、何十年も引きこもれば、成長が止まった人間と同じということですから、子供のままでもおかしくありません。

それで悩んで自殺してしまう程弱いなら、仕方ありません。他人は全ての人を救ってあげる事はできないのですから。命は大切ですが、どんな命によると思います。

引きこもりの人に一番良く効く薬は、他でもなく「労働」だと思います。外に引っぱりだして、本人達よりももっと困っている人の為に働いてもらうのです。恐怖症の人への対処の仕方ですが、最近の海外の心理学業界では、日本とは違う事を言っています。無理矢理、その恐怖そのものにぶつからせるのが一番効果があると。

日本人は宗教を嫌う人が多くいますが、何故苦しみに立ち向かえないかは、そのコア、即ち、生きて行く事の意味、命を授かった事の意味、人生に困難がつきまとう意味、それらを分かってないからだと思います。そういう深い意味での、本当の生きて行く事の意味や目的、それを子供の時から教えてもらっていないせいではないでしょうか?

そこに根本的な問題がある様に感じています。ひきこもりは「日本病」です。


K/Cさん、コメントありがとうございます。 - 富重 - 2011年09月06日 17:45:24

お説承りました。ありがとうございます。

No title - - 2012年07月07日 13:55:01

ナンダコレ

日本人ってのは
常に但し書きがあるもんって思ってんのか?

キリスト教者の社会活動 - STE - 2012年08月29日 23:05:45

はじめまして。たまたまこちらのブログを見つけました。

 私自身は特定の信仰はもっておりませんが、仕事柄、いろいろな宗教関係の社会活動を見ることがあります。

 私の見る限り「働かざる者」、「働かざる者食うべからずという言葉で傷ついた人たち」を最も支えているのがキリスト教のように思います。

 欧米ではもちろんのこと、日本でも、寄場での福祉活動、野宿者の炊き出し、アルコール自助会、障がい者の支援、ひきこもりの支援など「働かざる者」への関心が強いようです。

 「食えないのは努力不足」と考える人たちに対しても、キリスト教関係者はよく反対しているようにも感じます。

STEさん、はじめまして。 - 富重 - 2012年08月30日 20:54:01

コメントありがとうございます。勉強になりました。
聖書にはあのような記述があるのに、逆説的で興味深いです。

No title - K/Cさんの代理です - 2012年10月02日 23:57:08

K/C「働け。うちじゃ雇わないけどなwwwww」
K/C「働け。お前みたいなニートを雇う会社なんて日本中どこにもないけどなwwwwww」
K/C「どこも雇ってくれない?そんなワガママほざくんなら人に迷惑かけないように孤独にくたばれwwwwww」

- a - 2012年11月16日 14:00:37

日本聖書協会の翻訳がおかしいのです。
新日本聖書刊行会の新改訳聖書ではギリシャ語の原典に忠実に
「「働きたくない者」は食べるな」と翻訳されています。
「働きたく」ても「働けない者」は食べてはいけない者には含まれません。

- 富重 - 2012年11月17日 00:59:28

そうだったのですか。勉強になります。もう少し調べてみます。

- - 2012年11月20日 13:02:27

聖書でも、「働かざるもの、食うべからず」という言葉は、他人に対して批判して言う言葉ではなく、働いていない人が謙虚な気持ちで言う言葉なんですよ。それが分かっていない人が多い、現在の日本の状況を憂います。
 

コメントありがとうございます。 - 富重 - 2012年11月20日 21:50:23

ご意見ありがとうございます。勉強になります。

- tst - 2013年02月01日 15:39:19

目の見えない人たちが多いのは、本当に驚きです、
新約聖書といっても、それは使徒の手紙、自称クリスチャンであっても
パウロはサタン側の人なのです、言葉の内容を見ればわかることです。
だいたい福音書のほうでは、イエス自身が「必要なるものを与えたまふなり」と
いって、「空の鳥を見よ、撒かず、~ず、倉に収めず」といって、弟子たちも
「仕事を捨ててついて行った」というように、この世の仕事(むなしいこと)で
思い煩うな、と教えています。

コメントありがとうございます。 - 富重 - 2013年02月01日 20:27:30

ご教示ありがとうございます。具体的なご解説、勉強になります。

- - 2014年05月22日 17:35:01

聖書だろうがなんだろうが
「矛盾」があればそこを考える

それが健全だと思いますが。

聖書には権威主義になるな
という言葉は書いてないのですか?

コメントありがとうございます。 - 富重 - 2014年05月22日 21:55:08

勘違いだったら申し訳ないのですが、 このブログ記事の趣旨は、聖書の記述に辻褄が合わない箇所があるというものではありません。

- ゆてこ - 2014年09月16日 21:36:38

「その手紙には難しく理解しにくい箇所があって、無学な人や
心の定まらない人は、それを聖書のほかの部分と同様に曲解し、
自分の滅びを招いています。」「ペトロの手紙二」3章16節
(『新約聖書・新共同訳』より)

「論語読みの論語知らず」ということわざがありますけれども、
「聖書読みの聖書知らず」ということわざがあってもいいかも
知れません。権威のある書物ですから、誤用され易いのです。
一部だけ切り取って都合のいい解釈をする人が沢山います。
 しかし、聖典としてではなく、西洋文化を支えてきた古典の
一つとして聖書を読むというのも良いことだと私は思います。
知識人の教養として、聖書に記された知恵が尊ばれて来たこと
は、日本人も知っておくべきでしょう。
 なぜレーニンがこの聖句(「働かざる者食うべからず」)を
引用したかと言えば、労働者たちを資本家による搾取から解放
し、各自が食べて行くための(そして自立した人間として社会
を構成して行くための)健全な労働を提供し、新しい価値ある
未来を「共に産み出す」平等な社会を建設しようという、共産
主義の理念を伝えるためです。人民を飢えさせないために国家
が労働を提供する、誰もが社会から疎外されず(働かされるの
ではなく)働きの場を与えられることを保証した、ロシア革命
のイデオロギーを、聖書の言葉によって裏打ちしたのです。
 御存じの通り、人類のこの壮大な実験は無残な失敗に終わり
ました。ソ連は崩壊し、東欧は西側に組み込まれ、中国は資本
主義に舵を切りました。北朝鮮はただの醜い独裁国家に堕して
います。とは言え、これで資本主義社会の害悪が正当化される
訳ではありません。大量生産・大量消費・効率主義を礼賛し、
労働者からの搾取はますますひどくなり、社会の良識や美徳は
拝金主義にいともたやすく迎合し、働かない者は怠け者であり
無価値であるという強者の論理が横行し、人々をさらなる隷属
状態に置いています。「働かざる者食うべからず」という言葉
は本来のメッセージと関係なく、全く間違った解釈を施されて
います。しかし、それが長く続くとは思えません。人類は限り
ある資源を収奪し、食い尽くそうとしています。僅かに残った
自然環境を破壊して、留まるところを知りません。
 恐らく、そう遠くない将来、破局を迎えるでしょう。
(脅しているのではありませんよ)
 聖書に書かれていることを、神の言葉とか天からのお告げの
ように見なすとしても、あるいは、人類の英知の結晶であると
見なすとしても、そこから学べることは多いはずです。
 「古代人から学ぶことなどなにもない」と言うならば、もう
現代人の病根を断ち切る希望はないでしょう。

長々と講釈たれてしまい、申し訳ありません。


コメントありがとうございます。 - 富重 - 2014年09月17日 23:00:08

勉強になりました。

- - 2014年10月21日 17:02:32

聖書の前後関係は知らないのですが、すくなくとも「私たちが示した模範」では、働くことがすなわち弱者へのいたわりにも通じているってことは含まれていたはずと思います。

コメントありがとうござます。 - 富重 - 2014年10月22日 00:26:26

興味深いです。少し調べてみます。

はじめまして。 - のび - 2015年01月13日 00:04:58

飛び入りですみません。興味深く拝読させていただきました。

パウロの「働こうとしない者は、……」という言葉の時代背景などは全然分かりませんが、聖書なので「(神のために)働こうとしない者は…」ということではないでしょうか。


その神が何であるかは各人の解釈に委ねるとして、近代の労働観をパウロの記述に投影してはいけないのは確かですね。

もし「神のために」という本質がなければ、「働かざる者食うべからず」というような、耳たこになるほど聞かされた言葉の意味になると思いますが、「神のために」がつくと「働こうとしない者は」以下の文章の意味は180度転換してしまいますね。つまり、「神のために働こうとせず、ただ働こうとする者は、食うべからず」という意味になるんじゃないでしょうか。パウロの言葉を好意的に捉えるとすればの話ですが…。

のびさん、はじめまして。 - 富重 - 2015年01月13日 21:33:07

コメントありがとうございます。

>聖書なので「(神のために)働こうとしない者は…」ということではないでしょうか。
>近代の労働観をパウロの記述に投影してはいけないのは確かですね。

それは考えてもみませんでした。確かに、それだと意味が全く変わります。私こそ興味深く拝読させていただきました。

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社内失業と呼ばれて - 2010年06月20日 11:04

なぜ社内失業の問題は、中高年「窓際族」→若手「社内ニート」へと変化したのか、歴史を追いかけてみる(その1)

「働かざるもの食うべからず」という言葉がある。 元々の出典は、2000年前に作られた新約聖書内の「テサロニケ人(びと)への第2の手紙」。 ブログ「ニートひきこもりjournal」(http://nhjournal.blog37.fc2.com/blog-entry-229.html)の記事から引用させていただくと、

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