他人の間に割り込んで心理カウンセリングを受ける根性
ひきこもり男性たちの会話です。
こんな話を聞くと、大抵の人は、病院よりも精神保健福祉センターで心理カウンセリングを受けたくなるでしょう。実際、同センターでカウンセリングを受けている人の話を聞くと、予約がいっぱいで、次のカウンセリングを受けるのに数週間かかったりするのだそうです。
カウンセリングというのはこういうもので、新たにカウンセリングを受けるということは、他のカウンセリングを受けている人たちの間に割り込むということに他なりません。誰かがカウンセリングを受けると、他の誰かがカウンセリングを受けにくくなるのです。
「自分は、他の人たちの間に割り込んででもカウンセリングを受けるだけの価値すらない人間なんだ」
クライアントの自己評価を高めるのもカウンセラーの大事な仕事の1つのようですが、本当に自己評価が低い人は、そもそもカウンセリングには行かないのかもしれません。
■ むやみやたらに公的なカウンセリングに頼らないこと
誰かがカウンセリングを受けると、他の誰かがカウンセリングを受けにくくなる。
そうであれば、むやみやたらに公的なカウンセリングに頼るのは感心しません。
例えば、「ほんのちょっと気分がすぐれないような気がしないまでもない」という程度で公的なカウンセリングを受けて、しかも結局、やっぱりうつでも何でもなかったなんてことなると、どうでしょうか。他の重い症状を抱えている、本当にカウンセリングを必要とする人に迷惑でしょう。納税者からは「税金ドロボー」のそしりを受けても仕方がありません。
■ 私的な性格のあるカウンセリングを公的機関がタダでする必要があるのか
心理カウンセリングは、精神保健福祉センターのほか、保健所、さらには公立の小中学校といった公的なところで、広くタダで行われています(厳密に言えば、税金で賄われているのでタダではないのですが)。
しかし、カウンセリングは純粋な「公共財」ではありません。公共財とは、公共経済学や財政学の専門用語で、非競合性や非排除性という性質をもった財のことです。カウンセリングは、先ほどお話したとおり、競合性があります。誰かが新たにカウンセリングを受けると、他の誰かがカウンセリングを受ける頻度が下がってしまいます。
このように、純粋な公共財でない、私的な性格をもつカウンセリングを行政がタダで行うことについては、これでいいのかなあとも考えてしまいます。
だいたい、公的なところがタダでカウンセリングをするばかりに、民間は商売あがったりです。「民業圧迫」です。
■ 血税で賄われているカウンセリングを受けることに抵抗を感じる人もいる
「精神保健福祉センターなら、ただでカウンセリング受けられる。ラッキー♪」
と思う人がいる一方で、逆に
「いくらこころの問題を抱えているからといって、ろくに働かず税金を納めていない自分が公的なカウンセリングに頼るのはどうか」
と考える人もいるはずです。
私などは後者で、公的なサービスを受けようとすると、その裏で、そのサービスの財源である税金を汗水たらして働いて収めている人たちや、「ニートなんかに税金使うな!」と考えている人たちのことが頭に浮かびます。
■ カウンセラーは、本当に自己有用感がない人を救えない?
最後にもう一つ。といっても、大事なことですが、私のように自己評価の低い人間だと、「自分なんて、公的なカウンセリングを受けるに値しない人間なんだ」と考えてしまうのです。カウセリングの競合性を考えると、なおさら消極的になります。
「あなたは公的なカウンセリングを受ける『権利』があるんだ」という声も、届きません。
カウンセリング、特に公的な機関が提供するカウンセリングを受けるには、それなりの自己評価の高さが必要ではないでしょうか。
「自己有用感を高めることが大事」というアドバイスがお好きな心理カウンセラーの方には、本当に自己有用感がない人は、そもそもカウンセリングには行かないかもしれないということを考えていただきたいです。
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※ 私がカウンセリングを受けていない1番の理由は、単に必要ないと考えているからです。
Comment
[501]
[502] PCDさん、コメントありがとうございます。
[512]
[515] はなさん、コメントありがとうございます。
特に公的な機関に限って言うと、私のように必要性があまりない者が安易にカウンセリングを受けに行くと、本当にカウンセリングを必要としている方の迷惑になります。
そういうわけで、当面はカウンセリングには行かないつもりです。ですが、選択肢の1つとして頭に入れてはおきたいと思っています。
くれぐれもお身体にはお気をつけて。
[516] カウンセリング
いろいろなカウンセリングがありますが、なかなか自分にあったカウンセラーと出会うのは難しいし、継続しないと効果が得られない場合がほとんどだと思います。
富氏さん、軽い症状の人はカウンセリングを遠慮すべきというのは、当たってないように思います。
重い症状の人は薬物療法がぜひ有効ですし、カウンセリングは補助的に使われることが多いです。
それに、軽い症状の人が、重い症状の人よりも治りが速いかというと、一概にそうは言えないです。重い症状の人の方が治療に向かいやすくお薬の反応も良かったりして、速く適応状態に持っていけることもあります。軽い症状の人の方が、かえって難しく、時間も長くかかることも多いかもしれません。
カウンセリングは本来、症状が軽くて心の作業にエネルギーを向けることができる人向けのものと思いますが、カウンセリングに行く気がしない人は、薬物療法を試してみるのもよいのではと思います。
カウンセラーは「救う者」ではなく「場所を提供する者」なのではと思います。精神保健福祉センターのカウンセリングは、図書館や市民会館や公園と同じと考えてもいいのでは? 提供する場所はカウンセラーの心の中です
[517]
[518] けいこさん、解説ありがとうございます。
私について言えば、カウンセリングには行こうとは思わずにずっと過ごしてきました。自分のことは自分で考えのが基本です。それに加えて、私にカウンセリングをすすめる方がつい最近まで1人もいなかったので、やはり通うまいと考えている次第です。
>富氏さん、軽い症状の人はカウンセリングを遠慮すべきというのは、当たってないように思います。
なるほど、言われてみればそうでした。カウンセリングは、どちらかといえば症状が軽い人向けですね。
>カウンセラーは「救う者」ではなく「場所を提供する者」なのではと思います。精神保健福祉センターのカウンセリングは、図書館や市民会館や公園と同じと考えてもいいのでは? 提供する場所はカウンセラーの心の中です
すみません。こういう比喩的な表現は私は苦手で、分かりません。図書館や市民会館や公園は複数の市民が同時に使うことができますが、カウンセリングは個室で1対1でなされる独占的なもので、違うのではないかと素朴に思います。
[519] はなさん、コメントありがとうございます。
人間は確かに迷惑をかけながら生きていますが、意味も無く迷惑をかけるのはできるだけ避けるべきです。民間のカウンセリングならともかく、公的なカウンセリングはみんなのものですから、あまり必要のない人が安易に利用するのはやはり控えるべきだと思います。私はカウンセリングに行きたいのに遠慮して行かないというのではなく、そもそも行く必要を感じないので行っていないという、そういうことです。
[520]
逆に、富氏さんに適性と関心があれば、ファシリテーション技術(レクチャーやプレゼン)を身に付け、福祉領域のカウンセラーの方達に、労働経済学や厚生労働白書の内容をレクチャーが出来ると可能性があると思います。執筆なら現在でも可能でしょう。
[521]
[522] PCDさん、コメントありがとうございます。
ありがとうございます。今後の参考にいたします。
福祉サービスは概ね、保険で費用をカバーしながら、一部は自己負担となっています。これは公共経済学の枠組みで考えても理にかなっています。福祉や医療のサービスは公共財と私的財の中間的な財と考えられるからです。
しかし、心理カウンセリングだけは特殊で、民間では保険がきかず(私的財?)、そうかと思えば公共機関でタダで行われている(公共財?)ので疑問に思い、このような記事を書きました。
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