生存権について考える

ニートやひきこもりの人たちの多くは親に養ってもらっているけれども、その親が亡くなった後のことが心配されると言われています。

よく、ニートは将来のことを考えていないなどと言われていますが、私の周囲のニートを見ていると、決してそんなことはありません。私自身、将来はホームレスになるかもしれないことを自覚しており、強い危機感を感じています。しかし、求職活動はしていません。これは、一般の方にはなかなか理解できないだろうと思います。

ニートやひきこもりの人は、将来生活保護を受給することになるかもしれないとも言われています。これは、働いて税金を納めていらっしゃる方にとっては不満でしょう。

生活保護の法的根拠は生活保護法であり、その生活保護法は、憲法25条の生存権の理念を具体化したものです。ホームレス予備軍、生活保護受給者予備軍の私にとって、生存権は将来関わってくる問題かもしれません(生活保護はできるだけ受けたくないものですが)。

私は権利を主張するのはあまり好きではないのですが、今回は生存権について、自分自身の勉強の復習も兼ねて、教科書的にまとています。
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■ 生存権の先駆はワイマール憲法

生存権のさきがけは、1919年のドイツ国憲法、いわゆるワイマール憲法の151条1項です。次のような内容です(訳の品質は保証しません)。

151条
(1) 経済生活の秩序は、全ての者に人たるに値する生活を保障することを目的とした、正義の原則に準拠しなければならない。この範囲内で、個人の経済的自由は保障される。

Artikel 151
(1) Die Ordnung des Wirtschaftslebens muß den Grundsätzen der Gerechtigkeit mit dem Ziele der Gewährleistung eines menschenwürdigen Daseins für alle entsprechen. In diesen Grenzen ist die wirtschaftliche Freiheit des Einzelnen zu sichern.

生存権が登場した背景には、失業や貧困といった問題の深刻化がよく挙げられます。

当時の資本主義経済のもとでは、もともと国家があまり干渉することなしに比較的自由な経済活動が行われていたわけですが(自由放任、レッセフェール)、そうしたところ、先に挙げたような問題が出てきました。このため、自由放任路線は修正され、生存権のような社会権が認められるようになり、福祉国家的な政策や、裁量的な財政政策で失業問題の克服を図る、いわゆるケインズ政策が行われるようになりました。

しかし、こうした政策を行った結果、1970年代頃から財政赤字が拡大し、今日に至るわけです。小さな政府の反動として大きな政府になり、現在ではまたその反動として、小さな政府にゆり戻しが起きている格好です。こうした中、生存権の行方はどうなるのでしょうか。

■ 自然権思想

失業などの問題から生まれた生存権ですが、大元をたどれば、やはり西欧で発達した自然権思想が、そのバックボーンになっているのでしょう。人間は生まれながらにして権利を持つという思想です。

自然権思想では、ニートやひきこもりにも、生まれながらに権利を持つということになるのでしょう。国も個人も、ニートやひきこもりといえども、その人権を侵害することはできないということになります。

■ 日本国憲法の生存権

第25条 【生存権、国の社会的使命】

1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

生存権を規定する、ご存知、憲法25条です。

しかし、どう解釈すればいいのでしょうか。例えば、無職の人が憲法25条を根拠に「俺には最低限度の生活が保障されていないぞ」と、国を相手取って裁判をしたら、果たして勝てるのでしょうか。結論を言うと、勝つ見込みは少ないのではないかと思います。なぜならば、判例はプログラム規定説を支持しているからです。

◇ プログラム規定説

この説は、憲法25条は国の努力義務を宣言したものであり、法的幸測量はなく、また、個々の国民に対して具体的な権利を与えたものでもないというものです。

判例はこの説だろうと言われています。朝日訴訟や堀木訴訟が有名です。

この規定は、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運営すべきことを国の責務として宣言したにとどまり、直接個々の国民に対して具体的権利を賦与したものではない(昭和二三年(れ)第二〇五号、同年九月二九日大法廷判決、刑集二巻一〇号一二三五頁参照)。具体的権利としては、憲法の規定の趣旨を実現するために制定された生活保護法によつて、はじめて与えられているというべきである。

(最大判昭和42年5月24日民集21巻5号1043頁)

◇ 抽象的権利説

憲法25条の規定は国の努力義務ではなく法的拘束力を持つが、この規定を根拠に具体的権利が国民に与えられたわけではないという説です。

学者の間では、現在これが通説とされているようです。

◇ 具体的権利説

こちらは、憲法25条は、具体的権利が国民に与えられたものとする説です。ですから、憲法25条をもとに裁判を起こすこともできるという解釈です。

この説は、あまり支持されていないようです。

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公民の授業のような記事になってしまいました。近いうちに、生活保護法についても勉強してまとめてみたいと思います。しかし、生活保護はできるだけ受けずに自立したいものです。

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[参考にしたもの]

◇ 圓谷勝男『日本国憲法概説』高文堂出版社、1991年。
◇ 衣川光正編著『憲法の要点』第一次改訂版、学陽書房、1994年。
◇ 事典刊行委員会編『社会保障・社会福祉大事典』旬報社、2004年。



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意味は分からないんですが..
Artikel 151(1) Die Ordnung des Wirtschaftslebens muß den Grundsätzen der Gerechtigkeit mit dem Ziele der Gewährleistung eines menschenwürdigen Daseins für alle entsprechen. In diesen Grenzen ist die wirtschaftliche Freiheit des Einzelnen zu ...

コメント

僕は現在、ニューヨーク在住です。
アメリカにも、当然、生存権、自然権思想というものはあります。
しかし、アメリカのTraditional Values というものの1つに、Individual Freedom & Self Relianceというものあります。自己自由と自己責任ですね。これはセットという考え方です。僕は結構この考え方好きです。同様に権利と義務という考え方があります。義務を果たさない人には権利を与えないと言う考えです。

僕は自然権思想というものが、無条件に認められるのはある一定の年齢(20歳ですかね)に達すると、義務が発生してくると思います。税金とかそういうことですけど。個人の義務、責任として負うものであるというのが個人的な意見です。

これがあった上で、それを果たせない理由がある場合、始めてそれが保護ということになるのではないでしょうか?本当に努力はしているができない。という場合ですね。その努力というものの判断基準というものを設けるのが難しいんですけど。個人的には当てはまらないニートの方の方が多いと思います。

僕は、やりたいことが見つからないという場合は、義務を果たさない理由にはならないと思います。対人恐怖的な場合はまた話は別ですが。

権利の主張が強くなりすぎると、歪みが生まれるというのが、僕の考えです。権利というものは義務を果たすというものの上に成り立っているというのが個人的な意見ですね。

現在は、どこでも権利の主張の方が強くなってますけどね。アメリカは特にそうでしょう。セクハラとかの裁判とか、もうバカバカしくてしょうがないものいっぱいありますよ。面白いですが。
 こんばんは。義務って何なんでしょうかね。働くことが義務なら、なぜ働かせてくれないんでしょうね。努力すればいい、って平気で言う人がいますが、ニートやひきこもりってのは何を努力していいかわからないから苦しんでいるのではないですか。
 車の免許みたいに、就職の免許があればいいのになって思います。職業訓練所みたいなのはありますけど、あれは誰でも受けられるってわけじゃないですからね。
のりさん、義務って書いてますけど
税金を納めるとかそういうことです。働く=就職ではないと思います。仕事って大人の義務というか自己責任だと思います。場所がないなら作ればいいです。別に家でネットビジネスでもいいと思いますけど?
スギ【あがり症克服】さん、コメントありがとうございます。
権利と義務に関する哲学的な議論はよく分からないのですが、義務を果たさずに権利ばかりを主張する態度を冷ややかに見る人が多いのは我が国でも変わりません。

私は最近ブログで、ニートひきこもりの自分はあまり権利を主張したくはないと書いたり、政府はニート対策やひきこもり対策にああすべきだ、こうすべきだと主張するのを控えているのも、これが理由の一つです。

とはいえ、では、ニートやひきこもりには権利はないのか、権利が侵害されても構わないのか、例えば私が書いたブログには著作権が発生しないのかと言えば、そうとも思いません。

ニートが求職活動をしない理由については調査があるのですが、UFJ総研の「若年者のキャリア支援に関する実態調査」(2003年)によると、健康上の理由、自信がないから、ほかにやりたいことがあるから等が上位に挙がっています。「働く=就職ではない」というお話もありましたが、ご参考までに。

最後に、日本国憲法にも明文で規定されていますが、権利の行使は、あくまで「公共の福祉のために」という限定句つきだと考えています。濫用はいかがなものかと思います。
のりさん、コメントありがとうございます。
日本国憲法に定められている国民の三大義務は、納税の義務、教育を受けさせる義務、そして勤労の義務ですね(余談ですが、2つ目を「教育を受ける義務」と勘違いされている方が非常に多いです)。

いわゆる勤労の義務ですが、よくよく条文を読んでみると、「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ」(27条1項)とあります。勤労は義務だけではなく、権利でもあるわけです。

また、私は大学で経済学を学んだのですが、経済政策の目的の一つとして完全雇用の達成を挙げる見方は多いようです。働きたいと願う人が働けるような雇用環境を整えるのは政府の責任という考え方ですね。ニートの中には本当は働くことを望んでいる人が多いという調査結果が多数あります。

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