自分を全否定しようとするニートひきこもり
ときどき、ニートやひきこもりは親の育て方が悪いと言う人がいますが、これは、幼少期から今日に至るまでの育て方が根本的に間違っていたという意味ではないかと、つい考えてしまいます。そして、そういう育てられ方をしたニート、ひきこもり本人も、根本的におかしいということではないかと考えてしまいます。
しかし、もしかしたら、案外そうでもないのかもしれないと最近考えるようになってきました。間違っていたのは自分の全てではなく、一部にすぎなかったのかもしれません。例えば、これまでに積み重ねてきたことは間違いとは言えないけれども、就職活動のこういうところに問題があったとか。このように冷静に考えると、余計な自信を失わないですむことになるかもしれません。親の育て方についてはよく分かりませんが。
ですが、どう考えても自分の全てが間違っていたとしか思えない、自分を全否定するしかない、そういう結論しか得られない場合、どうなってしまうのだろうかと思います。
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コメント
- 客観的評価と自己評価
- 客観的に見て多くの長所を持ちながら、自信のない人がいる反面、少ない長所に妙に自信を持っている人がいますよね。世の中を見ていると、客観的評価と自己評価の組み合わせは実に多彩ですね。言い方を変えれば、自己評価は自分が好きなようにつけていいのだとも感じます。だから、私はある時期から自分には贔屓目でもいい点をつけるようにして、辛い点をつけて自分をいじめるのをやめました。私は富重さんをブログでしか存じませんが、これだけ内容の濃いブログを作れる知性や、コメントに対する返答に思慮深さや丁寧さを感じます。これらの能力をいままでの人生で蓄積したという証拠ですよね。だから、人生のすべてが間違っていた、なんて結論は、出しようがないと思います。とはいうものの、際限なく自己否定に走ってしまう時期を、私は経験していますので、自分を肯定するなんて、口で言うほど簡単じゃないのも分かるのですが・・・。
- kyoroさん、コメントありがとうございます。
- 子供の頃から大学を卒業するまでは自立までの準備期間なのに、大学卒業後自立に失敗したということは、準備期間中(22年間)に積み重ねてきたこと全てが間違っていたのではないか、とつい考えてしまいます。客観的に考えてもそのように思われます。昔から自分を否定したり、自分のことを価値のない人間と考える傾向が強かっただけに、なおさらです。
確かにこれまでに積み重ねてきたことには間違いはあったかもしれませんが、全てが誤りとするのは冷静に考えたら極端かもしれない、と最近考えるようになりました。
- 自分もどちらかと言えば内向的な性格なので、20代までは自分を変えたいと思ってましたが、30過ぎてからはそれでもいいじゃないかと、自分を受け入れようと思うようになりました。
1回成功するのに99回失敗してもいい。もし今までのことが無に帰しても振り出しに戻ったわけではないのですから。
- Xさん、コメントありがとうございます。
- 内向的な性格を変えるのではなく、個性と捉えるのも一つの道だろうと思います。
成功、失敗を長い目で見ると、たしかに違った見方ができるかもしれません。



