自信を「取り戻す」「回復する」という言い回し

ひきこもり支援施設の情報に目を通していると、ときどき、ひきこもっている人の自信を「取り戻す」「回復する」という表現を見かけます。

この言い回しには違和感を感じます。なぜならば、ひきこもりの私は、生まれてこのかた自分に自信というものを持ったことがないからです。持ったことがない自信を取り戻したり、回復したりすることなど、できやしません。

もっとも、こんな私でも、個別の事柄については自信を持つことはあります。例えば、九九をそらんじることには、いくらなんでも自信を持っています。

一方、肝心の、人付き合いの自信とか、働くことの自信、社会参加の自信は、物心ついてから持ったことがありません(ですから、「失った」こともありません)。ひきこもり支援機関の中には、特にこうした自信をひきこもり者に取り戻させることを目標の一つに掲げているところがありますが、少なくとも私について言えば、こうした自信は、取り戻すことも回復することもできません。もともと持っていなかったのですから。

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このように、「自信を取り戻す」「自信の回復」といった表現には違和感を感じるのですが、もしかすると大多数のひきこもりの人は、私と違って、もともと自信は持っていたものの何かのきっかけで失ってしまったため、このような表現になったのかもしれません。

そうでなかったとしても、この程度の言葉の問題は些細なことだろうと思うので、あまり大きく騒ぐつもりはありません。「自信を『つける』という言い方に変えろ!」などと声高に叫ぶつもりもありません。強いて言えば、このような表現を使うひきこもり支援施設は、私のようなひきこもり者について、正しい理解ができるのだろうかという疑問を感じないまでもないのですが、まあ、考えすぎでしょう。ただ、少し気になったので書いたまでです。

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コメント

初めて書き込みさせていただきます。
「自信を持った事がない」という今回のエントリー、非常に共感できます。
私も今の今まで“自信”と言うものを持った事がありません。
最近月に数回のペースでカウンセラーの人がうちに来るのですが、この「自信を持った事がない」ということを話すと、決まって「そんな事はないはずだ」「こういう状態になって忘れているだけだ」みたいな感じに返されてしまいます。
どうにも「自信を持った事がない」という感じは理解できないみたいで、毎度禅問答のようです。
はじめまして。
コメントありがとうございます。共感いただき、嬉しいです。
カウンセラーの方は「そんな事はないはずだ」「こういう状態になって忘れているだけだ」と断定的な話し方をされたようですが、そう断定される根拠が気になります。何か説得力のある根拠があるのなら、納得がいくのですが。
それから、カウンセラーは普通、相手の言うことを頭から否定するようなことはしないはずです。その点でも、どうしてそうおっしゃったのか、気になります。
まあそういう直球ど真ん中という風はなかったのですが、会話の中で話の結論として、そっちの方へ持って行くという感じです。
ただ、若者にありがちな「漠然とした自信」というのは誰でも持った事がある、という前提がカウンセラーさんの仲にあるのかな、と思うのです。
お返事ありがとうございます。
そうでしたか。「若者にありがちな『漠然とした自信』」ですが、私も持った覚えがありません。一般に若者はそういう自信を持ったことがあるらしいのですが、世の中には私のように、そうした一般論には当てはまらない若者もいるのではないかなどと私などは思います。
カウンセラーさんに理解していただけるといいですね。
富重さんの文章には自信を感じます。
だから読んでいてとても安定感があります。
文章書くの苦手だな…と思ってる人の文章ではないと思います。
元ニートさん、コメントありがとうございます。
そうでしょうか。私は物書きは不得手だと感じているのですが…。

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